世界の現場から~JVCの中の人ブログ~

国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」のスタッフ・インターンが綴る、あんなことやこんなこと。

第11回:会員・支援者担当 宮西有紀

 

こんにちは!国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」広報インターンの三浦です。

今回は、前回に引き続き、2015年にJVCのHPで公開されたスタッフインタビューを紹介します!

 

国際協力分野やNGOで働く人って一体どういう人たちなんだろう…?という疑問が解消される内容になっているかと思います!

国際協力に興味がある人、就活を控えている人(僕もその1人)、NGO職員のバックグラウンドに興味がある人…皆さんにとって面白い内容だと思いますので、ぜひ楽しみながら読んでください!

 

注:役職は2015年当時のものとなっており、現在とは異なる場合がございます。予めご了承ください。

 

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こんにちは。広報インターン渡辺です。

今回のインタビューは会員・支援者担当の宮西さんです。JVCで働く前はバリバリのキャリアウーマンだった宮西さん。どのような変化を経てこの仕事にたどり着いたのか、色々聞いてみたいと思います!
 

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皆から頼られる姉さん的存在です!

 

今までのキャリアを教えてください。

新卒では、ポケベルの会社で事務として働いていました。長く働きたいと思っていたので、女性でも働きやすい環境であったことに惹かれて入社を決めました。3年半勤めたあと、勉強したいことがあったので退職しました。
退職後は、 編集の学校、DTP(DeskTop Publishing。要するにパソコン、MACです。)の学校、テープ起こしの学校と、3つの専門学校に行きました。昼間は派遣会社に勤め、夜は学校に通う日々を2年間続けました。

 

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前職をやめるときの送別会での一枚。チームをまとめるマネージャーだったそう

 

その後、就職したのがインターネットサービスの会社です。JVCに入るまで、13年勤めました。営業事務を担当し、広告の配信・企画・審査等、インターネットに広告が掲載されるまでの一連の仕事をしていました。チームを持っていて管理職を担っていました。もうひたすら仕事に費やす日々を送っていましたね。

どうして国際協力に携わろうと思ったんですか?

 

原体験は、子供の頃にあります。私は10歳~14歳まで、旧西ドイツで生活していました。 

 

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ドイツの日本人学校の皆と。宮西さんは最前列右

当時、父に連れられ、ヨーロッパ各地へ旅行しました。東ベルリンで見た、戦後40年経った後も建物に生々しく残っている銃痕や、アンネの日記アンネ・フランクが生活していた本当に小さな屋根裏部屋、ベルゲンベルゼンにあるユダヤ強制収容所など、ドイツの戦争にまつわるものを自分の目でたくさん見る経験をしました。ベルゲンベルゼンの収容所では、「エリカ」と言うピンク色のかわいいお花がたくさん咲いていたんですが、そこで友達が私にこう言ったんです。「この綺麗なエリカの下にはたくさんのユダヤ人の骨が埋められているんだよ」。今でもその声が耳に残っています。こういったことを自分の肌で直に感じたことで、多感な時期に自分自身で経験することは大人になってもずっと残るんだ、と実感しています。

こんなこともありました。ある日6歳上の姉が泣きながらインターナショナルスクールから帰ってきたんです。姉は、泣きながら母にこう訴えかけていました。「どうして教えてくれなかったの?」

 

その日、姉はインターナショナルスクールの授業で、第二次世界大戦に日本軍がした虐殺や強制連行、人体実験などを習ってきたようでした。そして自分は日本人なのに、その事実を知らなかったことが非常にショックで、泣いて母に訴えていたようです。子どもながらに「世の中には知らされていないことがあるのかもしれない」と思いました。ドイツの歴史やドイツがしてきたことは自分の目で見る機会もあったけれど、日本の歴史や日本がしてきたことについて、自分はまだ知らないのではないか。たまたま知らないだけなのか、それとも知らされないことなのか。色々な葛藤がうまれました。このような体験が今に繋がっていますね。

 

JVCに転職した経緯は?

 

もともと40歳を過ぎたらキャリアチェンジをしようと考えていました。仕事漬けの生活から、社会人人生折り返し後は自分の得意分野を生かして、やりたいことを新しく始めようと決めました。先ほど話したようなドイツでの体験もあって、NGOという選択肢が出てきた感じですね。

渡辺:転職することに不安はなかったのですか?

まったくありませんでした(笑)やめなければよかったと思ったこともありません。13年も勤めた仕事は好きだったし、誇りも持っていましたが、もうやり尽くしたな、と感じていました。私にとって、このまま会社で働き続けることの方が不安でした。私がやるべきことはこれなのかな、このままでいいのかな、という想いが常にありました。だから本当に、びっくりするくらい退職にあたっての不安はありませんでしたね。

その当時JVCで、新しく「支援者担当」というポジションを募集していました。JVCを支えてくださっている方の情報を管理するポジションです。今までの自分の経験とぴったりで、募集を見つけた時は私が応募しなくちゃいけない!と思いました。

実際に入ってみて、企業であろうとNGOであろうと、基本的には何も変わらないな、と感じています。モノ・サービス・コンテンツで消費者を満足させ対価を得る企業と、活動に理解・共感を得てご支援をいただくNGO。営利か非営利かの違いはありますが、どちらも、社会に貢献することには変わりがないと思います。

渡辺:最近は、コリアの事業にも携わっていらっしゃいますね。

コリア事業に関わるようになったのはJVCに入職した年の冬からです。他の事業は日本が他の国を支援するという構図ですが、コリア事業は複雑な日朝関係もあり、まさに私たち日本人が当事者なんですね。そこにとても興味を持ちました。もともと私は大学で「社会運動史」を学び、書いた卒論は日韓関係についての「サハリン残留韓国・朝鮮人問題」でした。現在はコリア事業のサポートチームに入って、事業担当と一緒にプロジェクトについて考えたりしています。

ちょっと質問を変えて、趣味を聞いてもいいですか?

 

タップダンスです。高校の時に習っていたジャズダンスの基礎練習の1つに、タップダンスが組み込まれていたのがきっかけでした。靴を履いて音をならす。「自分が音になる」ことが楽しくて、すっかり虜になりました。タップダンスは、人によって全く音が違うんですよ。そして自分がリズムを刻むことでまるで自分が楽器のようになるんです。就職してから通い始めたタップダンスの教室は、気づけば20年間続けています。JVCの忘年会などのイベントで披露することもありますよ(笑)

 

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忘年会でタップを披露してくださった時の動画のスクリーンショットJVC軽音部とのコラボです
 

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愛用のタップシューズ。一見フォーマルな普通の靴に見えますが、裏側はご覧の通り専用の金具が取り付けられています。

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渡辺:メジャーでない習い事を20年も続けているのが、ぶれない宮西さんらしくてかっこいいです。

最後に、座右の銘を教えてください。

「無駄な経験はない」ですね。私は、今まで仕事で身につけたこと、専門学校で学んだ技術が、今まさにJVCでの仕事に活きています。無駄なことなんて何もないんですよ。全ては自分の糧になっていて、それがいつかはわからなくとも役に立つ時がくると、身をもって感じています。

 

【インタビューしてみての感想】

 

宮西さんのいつもぶれないところは、今まで、いろいろな経験を身につけて得たものであったことを初めて知りました。経験豊富な宮西さんだからこそこなせるお仕事があるのだと思います。インタビュー中は、ユーモアを交えてお話しいただけて、新たな一面が見えて嬉しかったです!

 

【次回予告!】

次回は宮西さんが一言で表すと「星の王子さま」だとおっしゃるあの方にインタビュー!目がキラキラしていて、純粋なところがヒントかも...?

 

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瞳にこだわって書き上げてくださいました。キラキラです。

 

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