世界の現場から~JVCの中の人ブログ~

国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」のスタッフ・インターンが綴る、あんなことやこんなこと。

2020年度インターンインタビュー⑥ 【佐藤 たら】

みなさんこんにちは。広報インターンの金岡です!

 

2020年度インターンインタビュー第6弾と称して、今回は前回の玉村 優奈さんと同じく、KOREAこどもキャンペーンインターン佐藤 たらさんにインタビューを行いました。✨

 

いつも元気があって明るいイメージの佐藤さん。小さいころからKOREAこどもキャンペーンに参加しており、今は企画運営をする立場になって思うことなどをお聞きしました!

 

それでは、インタビューに参りましょう!!

 

 

まずはじめに…自己紹介と大学で学んでいることは何ですか?

KOREAこどもキャンペーンインターンの佐藤たらです。今大学二年生でフランス文学科に所属しています。私の大学では、フランス語とフランス文学科に分かれており、私はフランス文学科の方に通っています。まだ2年生なので、これといった専門は特に決めていません。

 

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インタビューが始まりました!!
元々フランス文学には興味がありましたか?

今まで東アジアに興味があって勉強していたので、他の地域にも目を向けてみたくなりました。時間をかけて勉強できるのは学生のうち!と思ったので、目をむけていなかったフランスの文化を学びたいと思い、大学で専攻することにしました。今まで文化交流から影響を受けてきたので、文学を通じて文化を学ぶことがこれからフランスを知るにあたり大切だと思いました。

お恥ずかしながら私はフランス文学を全く知らないのですが、フランス文学の特徴は何ですか?

感情表現がとても豊かなところです。喜怒哀楽のなかに、現実的なニュアンスを感じます。どの場面でも、一つの感情表現だけではない感じで、私たちが生きている世界と同じくリアルさがあるところが好きですね。

文学だけでなくフランス映画にはBGMがないものが多いと感じるのですが、その分雨の音や自然の音が聞こえてきて、感情移入しやすいと思います。

そういったフランス文化の感情に忠実な表現などが、心にすんなり入ってきますし、作品に向き合いやすいです。

国際協力に興味をもったきっかけは何ですか?

いつのまにか興味をもっていたという感じです。

国際協力やNGOは私の人生そのものという感じでした。母がNGOの職員で、小さいころから職場に行ったりしていました。小学4年生の時に、KOREAこどもキャンペーンが事務局を担っている「ともだち展」に参加しないかと言われ、韓国のパートナーシップ団体「オリニオッケドンム」が主催する韓国でのワークショップに、中学2年生まで5年間毎年参加していました。

あと中学3年生に夏休みの作文の宿題で、人権について書くテーマでこのワークショップを通しての考えを書く機会がありました。この時に自分の考えがまとまり、国際協力でこれから自分ができることや、したいことに気づけたかなと思います。ありがたいことに全国大会奨励賞をいただきました。

振りかえると、違うバックグラウンドを持っている人たちと、子どもだからこそ純粋に楽しく過ごしていたなと思いました。このような自分の感じた気持ちや経験を次世代の子どもたちにも持ってほしいなと思い、恩返しの意味もあってともだち展の活動のお手伝いを続けていました。

大学生になり、もう少し深く活動に関われるかなと思っていた矢先、インターンとして関われることを知りました。さまざまな企画に参加できることや、自分が経験したことも発信して様々な人に活動や想いを伝えられるのでは、と思いインターンをやってみました。

 

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佐藤さんが子供の時、ともだち展に参加していた時の写真。
普段の業務はどのようなことをしていますか?

ともだち展がコロナの影響で初のオンライン展示になったので、その準備に関わりました。ともだち展の経験者として、ブログ記事も書かせていただきました。貴重な経験をたくさんさせて頂き、たくさんのことを考えたので、それを多くの人に発信できたのは嬉しかったです。

大学生プログラムの勉強会をやることも多かったので、そこでのゲストや講師の方のお話の要約や、それを聞いて考えたことをブログ記事にすることもあります。

 

インターンを通して学んだことや考えたことはありますか?

活動をしていてうれしかったことは、自分が子どもの頃にお世話になった方々の仕事を、自分が今やっていることです。今ともだち展に参加している子どもたちにとって、私の心に残っているボランティアの方々のように私がなれているのではないかと思います。ブログ記事やともだち展、ワークショップでのアイスブレイクなどで、大人と子どもの掛橋になれていることがとても嬉しいです。

 

これからインターンでやっていきたいことはありますか?

もうインターンも終わってしまうので、インターンが終わった後の過ごし方としては、自分の経験を踏まえて色んな人に新しい見方を提示できるような発信をしていきたいと思っています。

友達との会話ひとつでも、これを意識し続けていくと、お互いがたくさんの考えを持って社会に出ることになると思います。そうすることで次の子どもたちが生きる社会を少しでも生きやすくしたいです。 

 

話を聞いていると、佐藤さんは子どもと関わることが好きで焦点を当てている気がします。子どもと活動することに何か思い入れみたいなことがあるのですか?

私の経験上、子どものころから他の文化・慣習を持った友達がいることを知って生活することは大切だと思っています。加えて同じ地域の身近な友達でさえも自分とは違うということを知ることも大切です。

日常生活のなかで他国のポジティブであったりネガティブであったり、様々な話題が出たときに友達のことが頭に思い浮かぶので、差別や偏見について冷静に立ち止まって考えることができるからです。

周りに当事者の人がいるなかで育つということは、身のまわりに存在する偏見や差別に気づきやすくなるし、している人を見たときに彼らはなぜそう思うのか、自分に何ができるのかに気付くことにもなります。

大人になると遠慮や配慮が出てきてしまいますが、子どもは純粋なので楽しく仲を深めつつ、違う文化を持つ人への理解もより深めることができると思います。

 

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ワークショップの写真です。
子どものころから多様な人がいると知ることは大切なことですよね!差別的な言動をしている人にどうアプローチをしていくのがよいと思いますか?

私は差別をしている人がなぜそう考えたのかを、対話を通じてして聞き出すことを心掛けています。

自分の経験や友達の話をして、全ての人が一つの属性やくくりで理解できないということを話すことで、相手も私のように考える人がいるということに気づくかもしれません。

私の経験から先に話し、真剣に向き合う姿勢を見せることで仲が深まり、お互いの考えを尊重しながら差別的な言動について考えることができるようになると思います。

それでも話しても分かり合えないことがあれば、なおさらなぜそう思うのかを知りたいです。その考え方の中に根本的な問題があり解決のヒントがあるかもしれないからです。

その話し合いの後、自分が無意識にしている差別についても、じっくり向き合っていきたいです。

 

少し難しい話になりますが、多様性を認めない人は多様性の中に含まれると思いますか?

人間皆育つ環境も違うし、個性があるのと同じでみんな違う考え方を持つのも当たり前です。多様性の考え方にネガティブな感想を持っていても、他に特定のことを受け入れて尊重していれば、それも一種の多様性を受け入れていますよね…?。

おそらく、多様性を尊重する側もある程度は柔軟性が必要だと思います。様々な文化がごちゃ混ぜになることも少し寂しい感じがするので、個人で自分のアイデンティティの確立をすべきだと思います。

私がもし多様性に出会ったときは、理解し受け入れる努力はします。自分の受け入れられる範囲内でです。

 

妥協は大切ですが、できないこともたくさんありますよね。麺をすする音とかは日本ではよくても海外の人は不快に思います。「郷にいては郷に従え」なのでしょうか‥?

時と場合によりますよね。。食べる音くらいだったら我慢できる方が我慢すればよいと思います。逆に音を立てて食べてみる遊びとかをしても面白いかもしれないです。

相手のマナーや文化の受容度は、場所や双方の関係性によって変化していくと思います。

どんな時でも相手のことを理解してみようと思うことが一番重要ですよね。受け入れるにあたって、自分がどこまで相手の言動を受容できるのかを考えてみるきっかけにもなります。

 

佐藤さんは色んなバイトをしたことがあるとお聞きしました!チャレンジ精神が豊富ですね!

人と話して、いろんな考え方を知るのが好きなので、接客業が向いていると思っています。今は居酒屋で働いていて、常連さんとも仲良くなりとても楽しいですし、予想以上に仕事量が多くやりがいがあります。

バイトだけでなく色々な人と話すようにしています。1人で知らない駅で降りて、その地元密着型の居酒屋に入ることが楽しくて、コロナ前にはよくしていました。

チャレンジ精神といえば高校生の時に、「疲れ」を考えずに歩けば永遠に歩けるのではないかと思い、無心で限界まで歩くということをやってみました。小田急藤沢駅から大和駅まで約15km歩き、その後バイトまで行きました。当たり前ですが歩けば疲れることを知りました(笑)しかし訳のわからない自分の実験を達成することができた喜びはありました。

 

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一番長く働いているバイト先です。刺身おいしそう!

(金岡)1人で動くことはしんどくないタイプなんですね!

自粛期間は本当に楽しめました。鯖の文化干しにハマり倒したり、編み物・刺繍をしたり、何本も映画を見たり、やりたいことをすぐにやれるのが楽しいです。

 

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趣味の刺繍の写真です。めっちゃ可愛い!!
佐藤さんも落ち込むときはありますか?

大学に入ってフランス文学に出会い、フランス文学は常に美しいと感じました。なぜなら、フランス文学では喜怒哀楽を素直にぶつけているからです。喜怒哀楽そのものが美しいことなのだと感じました。その影響もあり、日々の生活でも自分の感情を素直に他人に伝えられることになりました。

 

(金岡)喜怒哀楽それぞれが美しいという表現って素晴らしいですね!

そうですよね!怒っている時があっても、後日思い返してみるとそれすらもいい思い出になることに気づけるようになりました。ベッドで横になっている時に、「今日も一日こうして平和に寝れるからOK!」って(笑)

特に今は自粛生活で活動範囲が狭くなっているので、感情の幅を広げることでより楽しめるようになったと思います。

まだまだ私の周りでは、感情を100%出してはいけない空気がある気がします。もうちょっと相手に感情を素直に伝えられるようになったら、お互いがどんな人なのかをより深く知り合えるのかなと思います。

そんな佐藤さんが人生で大切にしていることはなんですか?

ネガティブになりすぎないことです。

ポジティブに考えることができるようになれば、残念なことがあっても、それもまた経験!と区切りをつけることができます。

人生は嫌なことやしんどいこともたくさんあるけど、それも良い経験だったなと思うことで今の自分があると考えることができます。

あとは、生活に余裕を持つことや、休める環境を自分で作ることを大切にしています。ここまでとてもポジティブな人のように見えていると思いますが、ネガティブになるときだってもちろんあります。でも少し休めば、なんてことなかったかのように思えることもあるんです。

家にいても、私なら日向ぼっことか、ただただ雲を眺めるとか、自分の気持ちが楽しくなれることはたくさんありますよ!

趣味はなんですか?

五感で楽しむことです。一番好きなのは、音楽やラジオをかけて日向ぼっこをして、おいしい飲み物を飲んでボーっとすることです。その日の気分に合わせて、香水や窓を開けて外気を入れて、その日の空気を嗅いでみたり…。

それが趣味と言ったら変だけど、そうすることが私はリラックスにつながります。

 

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趣味の散歩とよく行く神社の写真です。
五感を活かそうと思うと、身の回りの楽しいことに気づけるきっかけになりますね!

それでいうと部屋のどこを見ても楽しめるようにしよう!って思っています。

私は本棚に眠っているタイトルを見ているだけで楽しめます(笑)

ボーっとして色々思い出してみたりすることが本当に好きです。

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好きなものに囲まれた机。よく見るとフランス文学の勉強中…?

無人島に持っていくとしたら?

鏡です!目とかに何かが入ったときに確認したいなと思って(笑)

意外と自分の体のなかの肉眼で見えないところが見えることって大事だと思うんです。

人って不安が一番体によくないのかなと思ったりもして、鏡で自分の状態がわかっていれば、ある程度は安心すると思います。

助けを呼ばなければいけなくなった時も、鏡の反射を利用することができます。いざ動物に襲われそうになった時などにも使えそうですし(笑)

 

 

おわりに…

最後まで読んで下さり、ありがとうございました!

 

2020年度のインターンインタビューは佐藤さんで最後です!

無事、今年度のインターン全員のインタビューを終えることができて、ホッとしています(笑)

インタビューを通して、それぞれの思いや価値観など、自分の生活にも影響することがたくさんありました。

この記事を通して、少しでもJVCに興味を持っていただけたら、書いた甲斐があります!

 

短い間でしたが、1年間読んでくださったみなさんに感謝です!

 

それでは、またいつか✨

 

 

 

 

 

 

2020 第4回:広報/FRグループ担当 木村 茂

 

 

こんにちは!2020年度広報インターンの庄司です🤗

3月も終わりに近づく中、実は私のインターン生活も今日で最後になります😢

ぜひ、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

 

今日は先日インタビューしたてほやほやの、広報/FRグループ担当、木村茂さんのインタビュー記事をご紹介します!記事編集まで私庄司が行いましたが、何度も構成や文章の面で直しをいただいき、書き上げることができました。

 

タイにハマった学生時代から、教員時代を経てJVCに来た木村さん。

自らタイでNGO団体を立ち上げた過去も持ちます。

そんな木村さんの歴史をぜひご覧ください!

 

それでは早速、参りましょう!✨

 

 

 

※役職は2020年当時のものとなっており、現職とは異なる場合があります。予めご了承ください。

 

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2020スタッフインタビュー第4回:
広報/FRグループ担当 木村 茂

2020年度広報インターン 庄司優衣
2021年3月23日 更新
 
 

こんにちは!2020年度広報インターンの庄司です。
今回は、広報/FRグループを担当している木村茂さんにお話をお伺いしました。学生時代の訪問以来、合計10数年の長きにわたってタイで過ごしたという木村さんは、JVCのタイ現地駐在員でもありました!(ちなみに、卒業式の日もタイにいたそうです!笑) その後一度独立し、再びJVCに戻ってきた木村さんがいま思う、「国際協力」とは何か...!
ぜひ最後までご覧ください!

      

自己紹介からお願いします!

 
さて、今回も始まりましたオンラインインタビュー。何度やっても緊張します!笑 下:木村さん、左上:金岡、右上:庄司さて、今回も始まりましたオンラインインタビュー。何度やっても緊張します!笑
下:木村さん、左上:金岡、右上:庄司
 

1965年、東京の杉並区に生まれました。小学生のころから山登りが好きで、奥多摩などの山によく行っていました。大学は早稲田の探検部に所属して、「日本の3,000メートル峰には全部登ろう!」と意気込んでいましたが、2, 3峰を残して卒業になってしまったという思い出があります。この経験は、日本の自然について知る大きなきっかけになりました。
探検部の活動で北タイの少数民族"ラフ"の村に住まわせてもらったことで、ものの見方が変わりました。「世界は広いな」と。


海外って、聞くと見るとじゃ大違いじゃないですか。文化的な背景の違う人たちと接したこと、何の役にも立たない都会の大学生の自分が、ことばも通じない村で受け入れてもらえたということに、大きな驚きがありました。「異文化に接すること」や「農村での生き方」に興味を持ったきっかけです。

 

4年間はバイトしてはタイに通い、国内では山に登り、最後に東チベットの開放されていない所にも突っ込んだりして。あまりに面白いのでもっと勉強したいと思い、大学院に行きました。
その後、大学の教員になりましたが、もっと村人と直接触れ合う仕事がしたいと思って、JVCに来ました。タイの現地駐在員を担当した後に一度JVCを離れますが、2015年に再びラオス事業の東京担当として戻り、2020年度からは広報/FRグループに所属しています。

 

タイやチベットの人たちの暮らしについて、どんなことが印象に残っていますか?

 
北タイ・チェンライ県のラフの村で撮影された、大学1年生の木村さんです...!北タイ・チェンライ県のラフの村で撮影された、大学1年生の木村さんです...!
 
 

当時、北タイの少数民族の人たちの多くにはまだ国籍がなかったんですよ。実にさまざまな法的、政治的に不当な扱いの下に置かれているにもかかわらず、後回しにされたり蔑ろにされていました。


北タイの国境地帯では、国境を自由に行き来しながら生きている人たちがたくさんいました。国境を越えたビルマ側ではずっと戦闘が続いていました。そこでは日常的に麻薬が売り買いされていたし、ある日突然、誰かが殺されたり、小さい子どもたちが売られていくような現状を目の当たりにしていました。

 

東京の何の不自由もない家で育った人間からすれば、毎日が驚天動地なわけです。なのに、村に住んでみると、同じようにご飯は食べるし、たわいもないことで大人たちが喧嘩してたり、かと思えば子どもたちが目をキラキラさせながら土や石で遊んでいたりする。こういった事を見て、問題は村人にあるのではなく、法律や制度のほうがおかしいのではないかと思うようになりました。これは深刻な問題だと。

 

ー最初は言葉もわからなかったけど、同じ土地で生活を共にし、地道に彼らとコミュニケーションをとる中で、そういった現状を徐々に理解していったんですね。

 

そうです。いろんな民族がいるなかでも"ラフ"という民族の村に住み込ませてもらって、ラフ語をカタカナでノートに書いていきました。例えば本を見て村人が「リ」と言うので「リ」=「本」かな、みたいな感じです。


そのうちローマ字を使って書かれたラフ語の聖書があるのを知って、あぁ、こんな奥地にまで宣教師が入っていたのかと知った気になったり。しかし実際にはベトナム戦争の時CIAにいたおっちゃんが、村で普通に生活していたりも。北タイを世界の僻地と思っていた私の方が、実は偏見にまみれ、何も知らなかっただけのことなのでした。そんなことに気づいてからは、毎日必死で村人にことばを教わり、最後には簡単なラフ語の会話集を作って自費出版しました。

 

ーそれきっと日本初ですよね?

 

たぶんそうですね。専門家の論文などは出てるけど、いまに至るまで公刊された会話集はないと思います。でもまあ、次の会話集が出る前に、ラフ語話者のほうが少なくなっているのかも知れません。ことばという人々が紡いできた一つの知恵がなくなっていくということは、とても残念ですが。

 

JVCに入職したきっかけを教えて下さい

 国際協力という分野に就職したいと思ったことは、ありません。大学での経験を経て、教員という仕事も素晴らしいと思いましたが、私としてはもっと農村開発の現場に行って仕事をしたいという気持ちが強くありました
それでNGOなどをネットで検索し、30歳を過ぎて子どももいたので、ある程度収入があって、タイの経験が活かせる職場を探しました。行く先はどこでもよかったのですが、やはり経験のあるタイの農村関係ということで、JVCが候補にあがりました。当時JVCバンコクで行っていた、ノンジョク農園の村上さんを知っていたということも関係しています。JVCの持続的な農業の活動は、当時からよく知られていました。
 

その後JVCをやめ、タイのチェンマイを拠点とた「特定非営利活動法人 Link・森と水と人をつなぐ会」を設立したんですよね?

 
2005年、森林の保全活動を行う村人とGPSで村の境やコミュニティー林の測位を行っている様子(Link活動当時)2005年、森林の保全活動を行う村人とGPSで村の境やコミュニティー林の測位を行っている様子(Link活動当時)
 

JVCで働きながら、農村の土地や環境の問題に関わる活動ができないかと思っていました。しかし当時JVCが行っていたのは、有機農業の普及などを念頭においた活動でした。東京に対して書いたレポートでは、「有機農業に関しては、すでにいい活動を行っている団体がある。私は住民参加型の土地問題や森林などの資源管理に関するプロジェクトを行いたい」と提案したのですが、通りませんでした。


結局JVCを離れ、タイ人の仲間と共に"Link~森と水と人をつなぐ会"を設立して、活動を始めました。「住民のニーズ」を一から探るワークショップを繰り返し、村に伝わる伝統的な機織りを収入向上につなげるような活動などいろいろやりましたが、最終的には、村の人たちが土地や環境を自分たちで保全することを中心に据えたいわば村おこしを、活動の中心に据えていきました。

 

有機農業に関する調査、収入向上支援から資源保全を中心とした村おこしまでやってみての感想をお聞きしたいです。

 

2007年、Linkの活動を視察に来たラオスの行政官に対し、チェンマイにおける村人による資源保全活動の支援について説明している様子だそうです!2007年、Linkの活動を視察に来たラオスの行政官に対し、チェンマイにおける村人による資源保全活動の支援について説明している様子だそうです!
 

私は地理学をやってきたので、その知見を活かして活動できたと思いますが、毎日は失敗の連続でもありました。無我夢中でした。
10年間振り返っての反省を一つ言えば、もっと政策をよく読み込み、同時に社会の流れを深く理解して自分たちの活動を位置づけていれば、よりいい形の活動ができたのではないかと思っています。

 

村おこし支援では、21の村で土地利用図や村の歴史、村に棲む生き物のデータなどを記載した『村の百科事典』を作りました。村長のなかには「これで村のことは全て説明できる。この中に全部入っているから、寝るときも枕元に置いている。うちの村だけはこれがあるから、会議でもすぐに何でも答えられる」と言ってくれた人もいます。村の人が村のために情報を活用できるように支援できた一例かと思います。

 

過去の衛星写真も使って土地利用の変化を地図化し、かつて村人の土地だった場所が、いまはどれだけプランテーションに取られたかの実証に使ったり、河川と灌漑の経路から水質汚染の原因を想定して問題に取り組もうとする村人の支援につながったこともあります。

 

2008年、山あいの中学校で、教員同士のネットワーク構築を通じて環境教育の普及を模索していた際の一コマ(Link活動当時)2008年、山あいの中学校で、教員同士のネットワーク構築を通じて環境教育の普及を模索していた際の一コマ(Link活動当時)

また、村の森や川に棲む生き物の増減を、中学校の環境教育の教材に使っているケースも。例えばですが、自分の土地の歴史や災害の危険性、避難場所につい知りたい!といった時、庄司さんが住んでいる市では、行政の地図などの情報はきちんと保管されていて、すぐにアクセスできますよね。それが、15年前のタイにはほとんどなかったんです。そこで私たちは、そういうものの事例を提案しようと21村で活動し、できた冊子を村と行政機関、図書館などに置いてきました。それが村の問題を解決する際の一助になっていたら、嬉しいと思っています。

 

帰国を決めた時は、どこも村の人たちが村中で集まってくれたり飲み会を開いてくれて。4~5日かけて全部の村を回りましたが、ほんとに寂しかったです。
特に卒論をかいたラフの村と、修論を書いたコンムアン(民族名)の村(これらでも活動を行った)、Linkになってから一番お世話になったパカニョ(民族名)の村、この3つの村は、いまも「自分の村」のように感じています。いまの自分を形成するには、なくてはならない存在でした。ただの「活動村」というような簡単なものではありませんね。

 

学生の頃から今に至るまで、多くの時間を特定の村で過ごした木村さんのアイデンティティーが気になります

 私は日本人として生まれ育ちましたが、ラフや、タイの村の人たちに出会ったことによって、日本人的なものの一部を失ったのかも知れません。
経験も少ない私が日本人一人で村で暮らしていくうえで、必然的にそうせざるを得なかったこともあるかも知れない。でも自分から、日本的な発想の仕方をこっち(タイ)のそれに入れ替えていった部分もあったかと思います。そしてそれは、決して悪くないことだと思っています。
 

 

2013年、中学校にあるパソコンを使って地域理解の模擬授業を行っている時の様子です。2013年、中学校にあるパソコンを使って地域理解の模擬授業を行っている時の様子です。

あくまで例えですが、私のいわゆる"日本人性"みたいなものが最初100あったとすると、タイなどでさまざまな人たちに出会ったことで、そのうちの20を失った。


でもラフの村で"ラフ性"を20、コンムアンの村で"コンムアン性"を10、パカニョ―の人たちから同様に10の発想や文化習慣みたいなものをもらえていたとしたら、合計で120になり、自分としては、そこで多様性や豊かさみたいなものを得ることができたとするなら、それはそれで嬉しいことだなと思っているんです。
人は辛いこととか嫌なことなど、さまざまな経験をすることで人のことがより分かるようになります。そういう意味では、いろいろな背景を持つ人たちに接し、共に暮らせた経験には意味があるのではないかと思っています。

 

木村さんにとって国際協力とは何ですか?

いままで国際協力をやりたい!と思ったことは、ありませんでした。ただ、日本が島国だという意識はあって、学生の頃から国境にとらわれずに広い世界を見たかった。だから探検部に入って、実際に外に出てみたら、テレビで観たドキュメンタリーなんかより全然面白い現実があって、以来、自分がどう生きていきたいかを常に模索しながらこの道を歩んできました。タイやラオスで私がやってきたことはどれも、"国境を超えたからやらなければいけないこと"ではないと思っています

 

一方で最近は、問題への取り組みをより確かなものにするためには、国を超えるからこそ必要な、物事の捉え方や発信のスキルがあると感じています。
私たちの関わる社会の問題の背景に、日本との関係が重要な要因としてあったりする。紛争問題も含め、「国際協力」という枠できちんと学んでいかなければならないノウハウ、蓄積、経験があると思います。JVCに再び戻ってからはそれをより強く感じるようになり、「国際協力」を意識するようになりました。こうしてJVCの活動を見直してみるととても面白いし、可能性も感じます。

 

農村に暮らす人がいて、都市に住む人たちがいる。技術革新と環境問題、資本主義の限界なども視野に、ここまで破壊してしまった環境や拡がってしまった格差に、国際協力の分野がどう取り組んでいけば、人として一人ひとりが認め会える社会を築いていくことができるのか、これからも考えていきたいと思っています。

 

インタビューをしてみて... 

今後は「いろいろな人にお世話になってここまで来たので、引き続き誰かのためになる仕事ができたら」と話す木村さん。
学生の頃からやりたいと思ったことに突き進み、多くの経験をされてきた木村さんはとてもかっこよかったです。また、日本国外問わず、世界中に溢れる「異文化」に対する好奇心をとても感じました。
お互いを受け入れ合う、理解し合い共存する、多文化共生についてもいつの日か深堀りしてみたいです!

さて、次回の予告ですが、今回も似顔絵を書いていただきました!みなさん、誰だかわかりますか~?

 

次回インタビュー予定のスタッフの似顔絵です!木村さんの画力に感嘆しました...!(木村さん作)次回インタビュー予定のスタッフの似顔絵です!木村さんの画力に感嘆しました...!(木村さん作)

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
それでは次回も、お楽しみに~!

 

 

 

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いかがでしたか?

 

読者のみなさまに、少しでも国際協力に関わる人たちのバックグラウンドや、“おもい”を知っていただけたらと思い始めたインタビュー。私たちインターン自身も多くのことを学ばせていただきました。

“国際協力”と聞くと海外ですごいことをやっている人たち、なんて感じてしまうこともありますが、実際、私たちが今回インタビューをさせていただいた方がみなさん東京事務所で働いている方たちであったことからも、現地で活動する人たちを支えるために、どんなおもいで何をしているのかを学べたインタビューになりました。

 

国際協力は現地での直接的な活動だけでなく、それらを円滑に持続的に行うため、経理や広報など様々な仕事があります。そして、会員のみなさまや募金、物品支援をしてくださるみなさま、これら全てが一体となって、JVCの”国際協力”はあるのだな、と学びました。

 

考え続けること、知り続けることに終わりはなく、時代の変化とともに日々更新されていくこと、ということも大きな学びでした。

 

JVCで一年間のインターンを通して学んだことを生かせるよう、これから私の進んで行く道でも、人や動物、環境に優しい世界を目指し、当事者の声に耳を傾けていたいと思います。

 

 

最後なので少し長く書いてしまいましたが、

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊

 

それではまた、どこかでお会いしましょう!🦔

 

 

 

 

 

 

 

 

2020 第3回: 広報事業担当 仁茂田芳枝 

 
 
こんにちは!2020年度広報インターンの庄司です!
 
京都に引っ越しました!寒いです☃🌸(雪は降っていません笑)
なんと、気づけばJVCインタ―ン期間も残すところあと一週間・・・!(✽ ゚д゚ ✽)
最後までどうそよろしくおねがいします!
 
さて、今回は私たち広報インターンの担当スタッフである、広報事業担当の仁茂田さんにインタビューした様子をお届けします(記事はJVCのHPから転載しているものです)!
 
それではさっそく、ご覧ください!
 
※役職は2020年度当時のものとなっており、現職とは異なる場合があります。予めご了承ください。
 
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2020スタッフインタビュー第3回:
広報事業担当 仁茂田芳枝 

2020年度広報インターン 金岡 一和
2020年12月14日 更新
 
 

みなさんこんにちは!国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」2020年度広報インターンの金岡です。

過去のスタッフインタビューは東京事務所スタッフ日記の過去記事からご覧いただけますので、こちらもぜひご覧ください!

2020年度インターンによるインタビュー記事の第3回目は、広報事業を担当している仁茂田芳枝さんです!

仁茂田さんは、自他ともに認める「まじめでずぼら」な性格...!?本当にそうなのか、インタビューでお伺いしました!
ぜひ、最後までご覧ください!

 

インタビュー始まりました!最初からリラックスした雰囲気でした!インタビュー始まりました!最初からリラックスした雰囲気でした!

はじめに...趣味についてお聞かせください!

今楽しんでやっているのは英語の勉強です。オンライン英会話と並行して、対面の学校で週に2回総合的な英語学習に通っています。

また、ロックなどのバンドが好きで、毎年行われる野外音楽フェスに行くのが楽しみでしたが、今年は新型コロナウイルの流行によって多くのライブや音楽イベントが中止になってしまいました。なので、オンラインで開催されたフェス映像の総集編やライブ配信を観て楽しんでいます。

あとは、積極的に図書館に行くようにして本を読もうと思っています。買ったり借りに行く時間がなかなか取れないので、電子書籍にするか迷い中です...。

フェスに行った時の写真。また気軽にフェスに行ける日を願っています...。フェスに行った時の写真。また気軽にフェスに行ける日を願っています...。
    

国際協力に興味をもったきっかけは何ですか?

この本、もしくはこの体験が国際協力を目指す原体験!といった特定の物はないのですが、お思い返してみれば子どものころに、アンネフランクの本や、シンドラーのリストなどの映画を見たり読んだりしたのも、今思えば影響があるのかもしれません。

また、学生の時にカンボジアへツアーで旅行に行った際、ほぼ路上、といった環境で暮らす人々を見たとき、自分たちとは違う環境で過ごしていることや経済格差を肌で感じたり、ということもありました。

いろいろな出来事が影響していると思うのですが、特に国際協力に関心をもつきっかけとなったのは、いわゆる「9.11」。アメリ同時多発テロ攻撃からの一連の出来事でした。当時私は高校生で、アメリカにある立派な建物が崩れている衝撃的な映像をリアルタイムでテレビで観ていました。

ただ、その出来事自体というよりも、その後に起きたアメリカのアフガニスタンイラクへの武力行使の様子を放送しているニュースを見た際に、何かもやもやした気持ちや疑問を持ったことのほうが私の考え方に大きな変化をもたらしたのだと思います。

それまで、国際関係のパワーバランスのような政治的なことを考えたことはなかったですが、これらのニュースをみて、正義と悪、文化・宗教などの線引で「こちら側」と「あちら側」をはっきりと分け、一方的に決めつける、そういった壁やダブルスタンダードがあることに関して疑問を持ちました。

また、イラク戦争では日本政府は積極的に戦争行為を肯定、支援して自衛隊も派遣に無縁な平和な国」というイメージをシンプルに信じていたところから「自分たちも戦争加害者側なのでは」ということにショックを覚えたりもしました。

 

JVCに入るまでの経緯を教えてください!

私は国際協力の仕事に関わるようになる前は、新卒入社から約10年ほど、テレビCMやミュージックビデオなどの映像制作関係の企業で働いていました。

なので、NGOや国際協力と縁がない分野からどうして今に至るのか、とよく聞かれたりもしていたのですが、役に立ちたい、貢献する側に回りたいという願望があり、映像の場合はそれが精神的に誰かを応援する糧になれば、という思いがあって、国際協力ともう少し直接的な形で誰かの人生だったりを支えたい、というように発露が違うだけでモチベーションは変わらないと思っています。

前職の時、結婚を機に将来を見据えたライフワークバランスを考え、現場の仕事を離れることを決めました。最初は映像系の事務職で働いていましたが、定時には帰れるものの、やりがいを感じられずに辞めました。

 

 

制作会社時代の写真。一度は撮影風景を見てみたいです!制作会社時代の写真。一度は撮影風景を見てみたいです!

 

 

それから、自分が本当に時間を捧げて働く意味があるような職業を考えました。映像制作の仕事は、学生の時にバイト先として働いていた流れもあって就職も制作会社にしましたが、国際協力の仕事をするかどうかも就職の際に迷っていたなと思いだしたんです。

ただ、国際協力の仕事は新卒採用がほどんどないし、国際機関などは博士号取得やトリリンガルなどのスキルが条件になっているので、当時はハードルが高いと思っていて選択しなかったし、大学時代にインターンだったりボランティア活動などもせずにいました。

映像関係で働いていた時は忙しくて考える暇がありませんでしたが、そうやって思い返してみたことで、国際協力の分野で働くことを本格的に模索し始めました。

私は前述のような専門性や語学力、もしくは海外現場経験といったスキルも、国際協力に関する専門知識もなかったので、最初はインターネットで調べて見つけた団体の説明会やイベント・ボランティアでのお手伝いに参加したりして徐々に知っていき、その後アルバイト・インターンなどで実際にいくつかのNGOでの勤務を経験して情報を集めました。

JVCは実は「国際協力 ボランティア」等の検索で最初に検索に出てきて、一番最初に接触を持ったNGOでもありました。

JVCオリエンテーションに参加したのが2015年の時で、JVCのボランティアチームに参加し、月に何回か事務所に行くようになりました。その間、いくつかのNGOの団体でアルバイトなどをしながら将来を考えていき、JVCが合っているなと考え、2017年の会員支援者担当インターンに採用していただきました。

しばらく働いていたら、その年の12月の時、当時のカレンダー担当の方が現地駐在の方に移動になり、1月からそのポストに移ることになってスタッフとして働くことになりました。

 

 

仁茂田さんインターン時代。仁茂田さんインターン時代。

仁茂田さんの性格は...!?

「真面目でずぼら」とか、考えが優等生的だと人に言われますし、自分でもそう思います。「こういう時はこうしなきゃいけない」といった考え方をするところが、そう思われる理由なのかもしれません。

また、よくいえばおおらかなのですが、時間的にルーズなところもあります。どちらにせよ、几帳面な方ではないです。

他人に対する許容量はとても広くて、多少の遅刻とかは気にならない方だと思います。

 

人生で大切にしていることは何ですか?

大切にできているかはわかりませんが、内面が豊かな人生を送りたいという願望があります。今までを振り返ると、丁寧な暮らしから遠ざかっていたような人生だったので、死ぬときに「楽しかったな」と思える人生を送りたいです。
また、生きた証のような「何かを残したい願望」があるかもしれません。

最初の就職先である、映像制作関係の仕事に携わりたいと思ったのは、自分が人生が変わるくらいミュージックビデオとかの音楽に影響を受けたので、影響を与える作り出す側にまわって、誰かの人生の助けになればと思ったことがきっかけでした。

NGOに入ることを志したのも、世界のなかでは理不尽な状況で権利をないがしろにされた人がいると感じ、自分自身が少しでもその人たちの助けになればいいかなと思い、そして貢献したいという気持ちがあったからです。そしてそこから、ある種の手ごたえのようなものを感じたいからです。

自分の発言や行動が本当に人の役に立っているのだろうかと、今も模索中しながら業務を行っています。

 

JVCのお仕事の中で一番印象に残ったことは何ですか?

メディア掲載や制作物配布などではなかなか直接の反応をみることは難しいのですが、クラウドファンディングのようなキャンペーンやイベントの時に、参加者の方にその場やSNSでダイレクトな反応をいただいた時が率直に嬉しいです。

メディアや郵送、ウェブサイトでの発信はあまり直接のリアクションや思いを知ることが少ないのですが、なにかの機会に発信した受けての方たちのお気持ちに触れることができると、発信したことの意味を感じられて喜びがあります。

 

 

東京事務所のスタッフになってからの写真。いつも私たちに丁寧に接して下さります。東京事務所のスタッフになってからの写真。いつも私たちに丁寧に接して下さります。
 

広報事業のこれからの課題や、やっていきたいことは何ですか?

団体として赤字が続いていることが課題なので、それを改善したいと思っています。世界各地で活動ができているのは、皆さまのご支援があってからこそなので、現地での活動を伝えていかないとJVCに共感し、応援して下さる人は生まれないと思いますし、しっかり発信していきたいです。

 

最近は、データなどを用いたマーケティングや広報戦略がありますが、JVCはそういった分析やデータを踏まえた発信の戦略がいまいち足りてないのかなと思います。

JVCを就職先に選んだ理由は、JVCのスタッフが持つ、「現地の人の目線を大切にしたい、本当に現地のためになる活動をしたい」という真摯な姿勢や、現地を思う志の熱さに感銘を受けたからです。

なので、そういった現地のことだけでなくスタッフの思いなども含めてより良い発信のやり方を現在模索中です。

 

これはJVCの広報として、というより個人的な願いのような話になるのでですが、世界中の人々全員が国際協力に携わるべきとは思っていませんが、フランスの言葉で「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。

財産や、権力、社会的地位を持つ人々は社会的責任を負う、という考え方を表すフランスの言葉で、この考え方のように、ある意味あたり前の責任というくらいに感覚で人々が社会全体のためを考えた行動をするような考え方が世の中に広まるといいなと思っています。

 

実際の支援に直接携わることや寄付などはやっぱり自分の生活もあって難しい、といった方ももちろんたくさんいらっしゃると思うんですけど、無理をせず、自分たちができる範囲で出来ることを探してみると結構あると思うんです。

例えば、ゴミを少なくするような環境に優しい生活をしてみようとか、フェアとレードのものを買ってみる、まちなかに困っている人がいたら声をかけてみる、でもなんでも、自分のまわり以外の範囲の人たちのためにも何かアクションをとろうと思うことが「当たり前」な世界になることを望んでいます。

 

JVCでは「自分事」として遠くの問題をとらえてほしいというメッセージを発信しています。今世界で困っている人々は、自分たちが望んで今の状況になっているのではなく、自己責任や自助努力ではどうにも抜け出せない厳しい状況下に否応なしに追いやられているケースが多いと思います、

国際協力ではなくても、環境問題、子育て、介護問題など自分が関心をもったことで誰かのために一歩踏み出せる様な思いやりがある社会に向けて、そういう価値観が広まるように広報事業を担当をしていきたいと思います。

 

おわりに...

私は、仁茂田さんの「発露が違うだけでモチベーションは同じ」という言葉が特に印象的でした!国際協力には直接関わりのない職業に就いていても、モチベーションがあれば自分のできる範囲で国際協力に携わっていける。入りすぎた肩の力が少し抜けたような気がします。

次回のスタッフインタビューは、広報・FR担当の木村茂さんです。

恒例の似顔絵を仁茂田さんに描いていただきました!冷静かつ温厚な印象の木村さん。どんなインタビューが聞けるのでしょうか‥?お楽しみに!!

 

 

木村さんの似顔絵を仁茂田さんに描いていただきました!木村さんの似顔絵を仁茂田さんに描いていただきました!
 
 
 
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いかがでしたか?😳
 
個人的な話にはなりますが、この一年間、毎週一緒に働いてきた仁茂田さんからは、広報の仕事はもちろんインターンの自主企画を実現させるためにいろいろなことを教えていただきました…!
 
スタッフインタビューを通して、仁茂田さんのクリエイティブな過去や、広報担当/個人としての将来像をお聞きでき、とても嬉しかったです!
 
 
 
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
感想など、お気軽にコメントいただけると嬉しいです✨
 
 
それでは、また!
 
 
 

スーダン駐在員によるオンラインイベントに参加して思ったこと

 

こんにちは!広報インターンの庄司です。

 

前回のブログで、パレスチナインターンの松田さんが2020年インターン協働企画を紹介してくれました!

第三弾の公開目前を機に、今回交流を行った「スーダン」という国について少しでも興味を持った方に現状を知っていただきたいと思い、今回このようなブログを執筆させていただくことになりました!

 

少し遡りますが、2020年11月に行われたオンラインイベント「スーダン、激動の情勢と紛争下を生きる人々と共に~JVC現地駐在員報告会@オンライン~」に参加した私個人の視点から、スーダンの現状などをまとめていこうと思います!

 

スーダンについて何もわからないけど、なぜJVCや他のNGO団体が活動しているのか気になる、、、!という人や、アフリカ文化に興味のある人などなど。少しでも何か感じてもらえたら嬉しいです。ぜひご覧ください😊

 

 

 



どんなイベント?

本イベントでは、スーダンから一時帰国中のJVC駐在員今中航さんが、昨今のスーダン情勢を現場の視点から伝えてくださいました。また、今年スーダンを訪問されたジャーナリストの堀潤さんを聞き手に迎え、当時の写真や30分に渡るドキュメンタリーも共有してくださいました!

 

 

✦イベントのアーカイブYoutubeでご覧いただけます!✦

 

 

イベントのタイトル通り、現在スーダンでは激動の情勢が繰り広げられています。

2019年、スーダンで30年続いた独裁政権が市民デモにより崩壊し、約3年後の民主化に向けて新政権が発足しました。

一方で、昨年6月には首都ハルツームで軍・治安部隊による虐殺が起こり、100名以上の方が殺害されました。また、経済状況の悪化により、人々は以前よりも困難な暮らしを強いられています。加えて、2003年から続くダルフール紛争の和平合意が、今年10月に一部組織間で行われました。終結に向け前進したものの、未だ課題は残っています。

 

現地で市民と生活してきた今中さんからみたこの状況は、どうなっているのでしょうか?

スーダンの基本情報からみていきます!

 

スーダンってどんなところ?

 

面積:188万km2(日本の約5倍)

人口:約4000万人

公用語アラビア語、英語、その他部族後多数

宗教:イスラーム(90%)、キリスト教(5%)

民族:200以上(アラブ、ヌビア、ヌバ、フール、他)

通貨:スーダン・ポンド(SDG) ex.1SDG=1.8円(12月4日時点)

平均給料:※月5千円程 ( https://www.worlddata.info/average-income.php.)

 

略史:

1956年 スーダン独立

2003年 ダルフール紛争

アラブ系遊牧民族とアフリカ系農耕民族の間で昔からあった、水や牧草地などを巡る抗争を始め、アラブ系を中心とした社会、経済などを背景に、アフリカ系の人々による反政府組織とスーダン政府の間に対立が生まれました。その後スーダン政府軍と反政府組織軍による衝突で、大規模な虐殺や破壊に進展。約30万人?(※確認)以上の人が殺され、多くの難民が出ています。

2005年 南北内戦終結

2011年 南スーダン分離独立=南スーダン国誕生

2018年12月 スーダン全土で反政府デモ発生

2019年 4月 軍事クーデターが起き、政権崩壊

→しかしその後も軍部が指導し続けていたため、デモは続いていました。

2019年 6月 軍・治安部隊による虐殺がハルツームで発生

→100名以上の人が殺害され、未だ行方不明の人も。

 

200を超える多民族国家であり、国土が広く自然豊かで、金などの資源も豊富なスーダン

しかし、軍事独裁政治により利益は民衆へ還元されないばかりか、インフレまで起きていました。そんな中での「パン値上げ」を発端に、2018年12月、全土で反政府デモが始まりました。1956年の独立以降、ダルフールや南北、民族間、政府と反政府軍など次から次へと紛争が起こり、その影響でおよそ400万人もの難民、避難民が各地へ逃れました。現在も多くの避難民がスーダンで避難生活をしています。

 

JVCスーダン/南スーダンで活動を始めたきっかけって?

 

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スーダンの地図

 

 

JVCは、南スーダンスーダンから分離独立する前の2005年にダルフール人道支援を始めました。

 

2006年から首都ジュバで故郷に帰還する難民への支援を行い、2010年に南コルドファン州のブラム都で平和構築などの活動を開始。

2011年6月にカドグリで紛争が起き、JVCのカドグリ事務所も一旦活動を停止しましたが、その紛争で避難してきた人たち(①プラム都→カドグリ ②イーダ難民キャンプ)を対象に緊急支援を開始しました。

 

現在は、南スーダン・イーダ難民キャンプでの児童保護・幼稚園支援に加え、

スーダン・南コルドファン州で紛争の影響を受けている避難民・帰還民を対象とした、生活・教育環境の改善及び信頼醸成支援を行っています。

 

今年1月からは、正規の学校に通うことができない子どもを対象に「代替教育プログラム(ALP)」として補習校を実施中



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停戦により分断されていた地域の封鎖が解け、久しぶりに家族が再開し、集まることができた様子。撮影:堀潤さん



これら活動のほとんどが、難民・避難民支援であることがわかると思います。

それだけ、スーダン/南スーダンでは紛争が多く、一つの場所で安定した暮らしをすることが難しい。しかし、スーダンの人々はとても穏やかで、家族を大事にしていて夢や目標を持っている人がたくさんいるなあ、と堀さんの撮影した映像を観ていて感じました。

 

 

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ロバに乗った子どもたちが、地雷原を越えて水を調達しに行く様子。撮影:堀潤さん

 

2020年、今のスーダンはどうなってるの?

 

驚いたのは、革命後もとどまることを知らない激しいインフレ(去年と今年の12月を比較して210%)です。

2SDGだったスーダンの公共バスは、今では20SDGとなりました。燃料費の補助金削減により、ガソリンの価格も今までの4倍に。

 

「そもそも市民革命が起きる前夜、激しいインフレによって銀行には長蛇の列ができ、人々はパンさえ買えない。こういったことが、政権を倒す抗議デモのきっかけに繋がった。政権は倒したものの、経済状況はその頃よりも厳しくなっている。(堀さん)」

 

一般の人の給料が上がらない反面で、政府など一部の人に利益が集中していることが、生活困窮の要因の一つとして挙げられます。

 

インフレ、燃料/ガス/パン不足、コロナによるロックダウン

加えて、今年は100年に一度と言われるほど大きなナイル川の氾濫が起きました。50万人を超える被害者の中には、路上生活を強いられる人もいたそうです。この氾濫により、マラリアの流行までもが起きました。

医療体制が弱いスーダンでは、災害による市民の混乱も大きいです。

 

JVCの活動地カドグリでは、今年5月には個人間で起きた家畜の盗難を発端に、大規模な武力衝突へ進展し、死者数は50名を超え多くの社会インフラが破壊されました。それでもJVCはカドグリにて、教育を受ける機会がない子どもたち向け約400名を対象に補習学級を行っています

 

参加者のマルガニ君(16歳)は、「補習校が再開して嬉しい。今までは将来のことは補習校が終わってから考えたいと言っていたが、今は病人を救うために医者になりたい。」と言います。

 

ずっと紛争と生きてきた地域だからこそ、継続・安定して教育を受ける機会が少なかったそうです。堀さんの映像でも、「教育がないと戦争を繰り返してしまう。」とカドグリの学校の先生は話していました。

 

「過酷な状況で生まれた人たちにたくさん出会った。ただ、自分たちで生活していくことが大事だから与えすぎないこと。欲しい物があるならそれを買うために何をしたらよいかを提案する。」そう話す今中さんから、国際協力のあり方を考えさせられました。



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堀さんの映像の一部。美しい光景です。



市民革命後のスーダンの様子は?

 

2019年7月、エチオピアアフリカ連合が仲介し合意文書に調印したことで、スーダン民主化の道を歩き始めました。当時の様子を今中さんがブログに載せているので、詳細はこちらをご覧ください✨↓

JVC - スーダンに吹いた新しい風 - スーダン日記 (ngo-jvc.net)



革命後の社会情勢として、女性・マイノリティ人権の尊重イスラームの棄教の死刑撤廃を始めとする法制度の改正表現の自由拡大など、明るい出来事もありました。

外務大臣に女性が任命され、閉鎖していた映画館がオープンし、YoutubeやTiktockで政治の話をする若者も増え、革命中の映像も発信していたそうです。ちなみに、革命後に再開した映画館でのオープニングセレモニーは、エジプトのコメディー映画が上映されたそうです。

 

イスラム社会や独裁政権下において叶わなかった、人権・自由が少しずつ市民のもとに戻ってきている様子が伺えます。

 

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今年のJVC国際協力カレンダー2021の表紙にもなった、スーダンの写真。カレンダー写真は、全て堀潤さんが昨年旅の道中で撮影されたものです。スーダンの人々の服装はとてもカラフルでおしゃれだ、、!と思いました😳写真集あったら見たいなあ~🤤

 



まとめ

 

30年続いた独裁政権を倒した、スーダン市民の勇気ある行動を尊敬します。

 

ついに、これから民主化の道を歩んでいくという中での虐殺や市民には耐え難い経済状況。まだ完全に終結したとは言えない、ダルフール紛争と南コルドファン紛争の和平合意。

民族、市民の数だけ考え方があるからこそ、同じ方向を向いて道を歩むことがどれほど難しいことなのかよくわかります。

 

自分たちの信じる道に向かって、他者を傷つけるやり方ではない方法で向き合うことはできないのか。時間はかかっても、考え方の違いで無残に殺される人がいなくなることを願います。紛争の終結に向け、一人でも多くの市民が納得できる道を彼らと共に模索していくことが、国際社会の一員として必要だと改めて感じました。

 

 



最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

私たちが今回交流した、スーダンに住む同世代の人びとの恋愛観や将来の夢などは動画でたっぷりご紹介しましたが、今回は「スーダンという国をまた違う視点から知っていただけたら嬉しいです。

 

スーダンに友だちができて喜んでいる私ですが、これからは彼らが生きているスーダンという国の歴史、背景、社会情勢について知りたい、と強く思うようになりました。

 

スーダン×日本「文化交流」最終章の第三弾もお楽しみに!

それでは、また!🤗🐞

 

 

YouTubeで動画公開!インターン協働企画「日本スーダン文化交流」

 

みなさんはじめまして。2020年度パレスチナ事業インターンの松田です。

 

今回は、2020年度JVCインターンの4名で企画したスーダンの若者×JVCインターンの交流会」についてご紹介をさせていただきます✨

 

みなさんは「スーダン」と聞くと、どんなイメージを思い浮かべますか?

 

土地や歴史、宗教、文化、食べ物や音楽、観光地・・・たくさん視点の置き方があります👀

 

でも、具体的にどんな人が暮らしているのかというのは、友人・知人がいないとなかなかイメージできませんよね。

 

他の土地に興味を持つきっかけは人それぞれ異なりますが、やっぱり一番印象に残るのは「人」だと思うんです。

 

そこでこの企画では、私たちインターンJVC活動地の若者たちと交流することで、普段なかなか知ることのできない地域の人々を紹介し、

 

JVCの活動に関心を持っていただくきっかけになればいいなと思って開催しました😌

 

 

 インターン協働企画の背景はこちら↑の動画でお話しています。

 

当日はスーダン現地駐在員のJVCスタッフ今中航さんにご協力頂き、現在スーダンの大学に通う4名の若者たちが参加してくれました!

 

参加メンバーはこちらの9名↓

スーダンより・・・ターヒル、ヤキン、ジジ、ファディ

JVCインターンより・・・庄司、金岡、堀江、松田

現地駐在員・・・今中さん

 

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開催したのは2020年の11月25日。Zoomを使って物理的距離と新型ウイルスによる移動制限を飛び越え、幅広いテーマで会話を楽しみました。

 

当日の映像はYouTubeで公開しているのでそちらをぜひご覧いただきたいのですが、このブログでは動画の見どころをいくつか紹介させていただきます🌸

 

第1弾は・・・「自己紹介と好きな○○編」

日本とスーダンではコロナ禍の大学生活が全然違う?

好きな○○話では、庄司とジジが巨人と戦うあの有名マンガで盛り上がります!

 

 

 

 

第2弾は・・・「恋バナ編」

理想のタイプやおすすめのデートスポットなどなど話題は盛りだくさん。

ファディとヤキンが語る「生まれ変わったらなりたいもの」はみなさんも共感されるはず!

 

 

 

第3弾は・・・「将来の夢、スーダンのアート、逆質問!編」 

ジャングルに何か1つ持っていくとしたら? スーダンの学校はどこでも絵を描いていいってほんと?みんなの将来の夢は?

最後には、ターヒルからJVCインターンへの逆質問も!日本のこんなところに注目してるんだ!とびっくりです。

 

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近日公開予定の最終章、第三弾!サムネイル画像だけお見せします🙈お楽しみに!!

 

 

いかがでしょうか? 動画は英語で話していますが、日本語字幕もばっちりついています。

画面共有をしながら進めたので、スーダンの美しい風景おいしそうな食べ物を要所要所で紹介しており、情報満載で楽しい内容になっているはず📷✨

今回参加して頂いたスーダンのみなさんは、大学で専門的な勉強をしながらアートのボランティア活動🎨をされているなど、明るく積極的で、自分の意見をしっかり持っており、同世代としてとても尊敬しました。

 

土地や文化が異なる人たちのお話は自分のことを振り返るきっかけになりますね。

 

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ターヒルに見せてもらった現地のウォールアート①

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ターヒルに見せてもらった現地のウォールアート②




 

企画の内容を少しでも「面白そう!」と思って頂けた方、インターン活動に興味のある方は、下記のURLよりJVCYouTubeチャンネルをぜひご覧ください😊

 

www.youtube.com

 

 

それでは、最後までお読み頂きありがとうございました。

これからもJVCの活動の応援をどうぞ宜しくお願いいたします!

 

 

 

インターンブログ① 【モザンビークで何が起きたか?オンライン生報告会】

こんにちは! 2020年度広報インターンの金岡です。

今年は、新型コロナウイルス流行により、インターンも4月から自宅勤務で活動中です。。
早く終息することを祈るばかりです。😐😐

今年度インターンの試みとして、イベントやセミナーに参加し、そこで思った感想や気になったところを、気軽に皆さんと共有できるブログを作成していきます。
学生ならではの未来の希望にあふれた新鮮な視点をお届けできるように頑張ります!!

さて、8月12日に、[モザンビークで何が起きたか? オンライン生報告]という、JVC主催のイベントが開かれました。

 

このイベントは、JVC東京事務所スタッフの渡辺直子と、聞き手のジャーナリスト・堀潤さんとの対談形式で行われました。
2013年からモザンビークにおけるプロサバンナ事業への政策提言を行ってきた渡辺さんの熱い想いが2時間語られます。🔥

 

堀潤さんのYouTubeチャンネルにイベントのアーカイブ動画があがっているので、ぜひご覧ください⇊⇊

youtu.be



そもそもプロサバンナ事業ってなに?
と思った方は、3月に掲載された以下の記事に概要がまとめてあるので、参照してみてください!

インターンが見た!【プロサバンナに関する国会議員主催勉強会】 - 世界の現場から~JVCの中の人ブログ~

 

気になったポイントまとめ

今回はYoutube動画とも合わせながら、私が印象的だったポイントをご紹介したいと思います!気になったポイントは、全部で3つです!(時間はYouTube動画の時間です。)

1、茂木大臣が「中止ではありません、完了です」といっていた件。(10:12~)

2、南アフリカの農民と、モザンビークの農民の違い(15:00~)

3、既成事実はどう作られているのか(1:06:00~)

 

私は現在大学院で国際開発を学んでいます。同級生は海外からの留学生がほとんで、国際色豊かな環境だと思っています。また、JICAの方からのお話や考える機会もあり、そこで学んだことをブログにも活かしていこうと思います!

 

それでは、1つずつみていきましょう👍👍

 

1、茂木大臣が「中止ではありません、完了です」といっていた件。(10:12~)

 

まず初めに、渡辺さんはプロサバンナ事業についての概要をお話しされます。そのなかで、「結論からいうと…」と次の発言をされます。

 

 

渡辺:先週土曜日にTBSのニュースで茂木大臣が「中止ではありません、完了です」との事をいっていた。

プロサバンナ事業を象徴的する発言だと思う。現地市民による問題や指摘を認められず、隠そうとし、ごまかしを上塗りする。どんどん上乗せされていって、結果としてごまかしが悪事になっていった。それには、介入や分断、脅迫や弾圧、情報秘匿などがあり、これに35億もの税金が投じられた。2018年の8月、現地で違憲判決まで出ている事業。悪事の上塗りをJICAが中心となって税金をつかって行っていた。

 

開始早々、渡辺さんからの強烈なコメント。悪事の上塗りとは何なのか。しかも税金が絡んでいる…?皆さんも一気に話に引き付けられていったのではないでしょうか‥??

 

渡辺さんはこの発言の直前に、なぜプロサバンナ事業は「完了」ではなく、「中止」だと思うのかを説明しています。詳しくは動画を見ていただきたいのですが、簡単に説明すると、

事業の3本柱の活動のうち、本来2013年に完了予定で、事業の根幹をなす、長期に渡る事業計画づくり「マスタープラン策定」が完了していないので、この終了は「中止」「頓挫」を意味する

 

ということです。

 

これは、事業をしている側(計画を建てる側)と第三者側の視点の違いではないかと考えることができますね。

 

100%やるはずだったテスト勉強も誘惑に負けて70%しかしてないけど、悪くはない点数とれたから、まあテスト勉強はできたといってもいいよね…って考えがちですよね(筆者体験談)

 

ただし、この例えとプロサバンナ事業の違う点は、私たちの税金がプロサバンナ事業には使われているという点です。

税金を使う以上、事業の過程と結果には責任が伴います。(私がテストで点をとれなくても、他の人は困りません)

 

この点において、プロサバンナ事業では現地農民の反対の声を適切に聞けてないことなどの過程に懸念点が存在するので、一旦立ち止まって計画を練り直しましょうと言っていたのが、現地農民と渡辺さんら市民社会の意見です。

 

報告会では、農民のためにとるべき行動ではないな、と思うような日本側の対応が何個も指摘されています。しかし、それを簡単に認めて責任をとるような純粋な世界はこの世の中に存在しませんよね…。

 

この1番目のテーマを打ち込んでいる際に、予測変換に

「中止ではありません、官僚です」と出たことに、パソコンとの意思疎通の可能性を感じました。

 

2、南アフリカの農民と、モザンビークの農民の違い(15:00~)

渡辺さんは、南アフリカの農民はアパルトヘイト後の復興期に、国内外から「モノを与える援助」が押し寄せたという歴史から、人権回復=「ものをもらう」意識が形成されてきた。一方で、JVCの活動を通じて、自給農民の強さや意義を感じてきた…と。

そういうなかで出会ったモザンビークの農民が出した声明

 

「農民は生命や自然、地球の守護者である。小農運動としてのUNACは、自分たちの農業に基づいた生産モデルを提案する。ということを言っていた。」

 

に出会い、渡辺さんはモザンビークの農民に感銘を受けたことが、プロサバンナ事業に積極的にかかわる契機となったとおっしゃっています。

 

私はこの体験談を聞いていて、ハッとさせられました🙈🙉

 

なぜならば、国際開発を普段学んでいる身としては、対話などを通じた被支援者への深い理解が必要だと、耳にタコができるくらい聞くわけです。。

 

国も違えばそこに住む農民のニーズは違うわけですが、農民自身の意識や行動性の違いには気づけていなかった自分がいました…(小声)

 

ここで、国際開発の難しさを改めて考えました。開発は、被支援者のニーズを満たしていくものですが、ニーズに始まり、事業の進め方、事業後の対応など、個別具体的に解が変わっていくのだと思います。

 

まるで、子育てのようですね…。👶国際開発は、もちろん親と子のように垂直的関係で行われるものではありませんが、身近な例として想像しやすいと思います。

子どもの成長に伴って、夜泣きしたり、人見知りしたり、イヤイヤ期が始まったりするわけで、それぞれに対応していくわけですが、本当に何が最適解だったのかは誰にもわからないですよね…?

 

あえて放任してあげた方がいいのか、それとも背中を押してあげたほうがいいのか。

 

その子どもの個性を理解して、親も学んでいくという姿勢が必要かもしれません。

(23歳学生より。)

 

3、既成事実はどう作られているのか(1:06:00~)

開発事業には、被支援者とのコミュニケーションが重要です。ここをおろそかにしてしまうと、まずは被支援者コミュニティに思わぬ弊害を与えてしまう恐れがあります。

その結果、開発事業自体に反感を持たれてしまったり、開発している私たちの国に対しての印象も悪くなってしまいます。そのいい例がプロサバンナ事業なのですが…。

 

今回の渡辺さんのお話の中で、開発側がこの対話というプロセスを既成事実化したというような事例がありました。

 

それが、「4色分け」です。詳しくは、動画を見ていただきたいのですが、4色とは、自分たちの開発(プロサバンナ)事業に対する賛成度による色分けです。それをJICAが税金を使って現地コンサルタントを雇用して調査し、事業に賛成してくれそうな団体だけを説明会に呼んで、「市民社会と社会と対話している」というプロセスを作っていたのが後々判明します。

 

 

ん…??🙄

 

 

と思ったのは私だけでないはず。。結構露骨にやってるな!!とツッコミが入ってしまう勢いですね。

 

後々というのは、渡辺さんらが情報開示請求を何度も行った結果や、事業主体側(3カ国政府)の内部リークによってわかったということです。

なので、監視の目を光らせていなければ、この事実は外に出ておらず、外側から見たら対話のプロセスを踏んで、説明会でも賛成多数であったという既成事実を作ることができます。

 

賛成してくれる人だけを呼んで仲良くお話して、「対話した」というのはやっぱり疑問視されるべきやり方ですよね…?

 

世の中、こうした既成事実化にあふれていると思います。それは、今回知ることとなったプロサバンナ事業だけではなく、公的なものから私的な領域にまでありますよね。

 

『統治二論』で有名なロックは、生まれた時の人の心は、「タブラ・ラサ」のような状態であると言いました。タブラ・ラサとは、ラテン語で何も書かれていない石板のこと(白紙)を指します。

 

ロックが生きていた時代の社会は、階級制度が存在し、人は生まれながらに優劣がついていた時代でした。そこで、ロックのこの思想は、それを否定するものとして画期的なものだったのです。

 

なにが言いたいかというと、常に前提に対して疑っていこうということです。

人間は成長していくにつれ、「タブラ・ラサ」に経験から様々な文章を書いていきます。しかし、文章で「タブラ・ラサ」がいっぱいになると、人は変革することに億劫になってしまいます。

 

そこで、今自分の「タブラ・ラサ」を一度リセットして、目の前のことを考えてみようという勇気ある決断を取れる人はどれくらいいるでしょうか‥?

 

自分にできなかったら、勇気のある人にリセットしてもらうのも一つの手なのかもしれませんね。

 

 まとめ

私が挙げた、気になったポイントに共通している点は、コミュニケーション不足から問題が起きていることだと思います。

ただし、コミュニケーションをとっている主体間の関係性に着目することも必要です。友達同士、先輩後輩、個人対組織など、立場が変わればコミュニケーションの質や量も変わり、その視点を持つことが重要なのだと学びました。

また、立場が違えば事業の見え方も違く、被支援者は国や地域によって性格が違うということにも気づくことができました。最後に、既成事実がどう作られたかを確認し、自分を振り返ることの大切さを書かせていただきました。

 

そしてなにより、渡辺さんと堀潤さんの真理を追究していく熱意がとても伝わり、カッコいいなと思いました!(すでにお二人のファンになっている…!?)

 

おわりに

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!💕💕

今年一年、この調子でつぶやいていきたいと思います。ブログの書き方を研究中ですので、成長を温かい目で見守っていただければ嬉しいです。

 

それでは、次のブログでお会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

2020 第2回:経理・労務担当 稲見由美子

 

 

みなさん、こんにちは!

2020年度広報インターンの庄司です🦉

一昨日、虹を2回も見ましたよ~!🍀(私の住む神奈川では大雨×晴天の繰り返しでした!)ラッキー!

 

さて今回は、私の初スタッフインタビューをお届けします!🙈🙈🙈(わーわーわー笑)

経理労務を担当している、稲見さんという素敵な方です。

ひとつひとつのご縁や出会いを大切にされていて、JVCでの30年間をじっくり振り返っていただきました。

 

ぜひご覧ください!

 

 

注:役職は2020年当時のものとなっており、現職とは異なる場合があります。予めご了承ください。

 

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こんにちは!2020年度広報インターンの庄司です。


今回は、経理労務を担当している稲見さんにお話をお伺いしました。なんと30年前からJVCと関わりのある稲見さん。当時のJVC事務所では子ども連れで働くスタッフがいたなどの、おどろきの歴史が明かされました!その他にも、ベトナム駐在中の思い出が今の生活に繋がっていたこと、などなど。
ぜひ最後までご覧ください!

 

 

 

 

30年前、JVCに来た経緯を教えてください。

 

11.png終始笑いに包まれ、お話をお聞きしました。
(左上:稲見さん、右上:庄司、下:金岡)
 

縁が縁を生みました。
たまたま、当時付き合っていた人(現在の旦那さん)の友人が飛行機の中で、JVCエチオピア担当と居合わせました。
その友人が国際協力(ボランティア)に関心があった彼にJVCを紹介し、その翌週くらいに私はJVCに連れて来られました。偶然そこには同じ年代のボランティアが多く、当時はサークル活動の延長みたいな感じでした。

 

 

当時のJVCはどんな様子でしたか?

 

当時、JVCってすごく斬新だなと思いました。
私たちの世代って、結婚したら仕事を辞める世代というか、就職でも、結婚したら仕事を続けますか/続けませんかという質問ではなく、結婚したらやめるよね、っていうのが当たり前の世代でした。
そんな中、当時からJVCの事務所では、独身女性だけでなく子育て中の女性も活躍していました。今だと男女平等で、子どもは保育園に預けて仕事に行くという制度が整っているけど、30年前は女性がものすごい頑張らなきゃ仕事が続けられないような時代だったから。

 

湯島(当時の東京事務所)のJVCに来た時一番ビックリしたのは、ベビーベットが机の後ろにあったこと。しかも、今の事務所よりもっと狭くて、半分より小さいくらいの広さの中にありました。 【大きさ当時と今の比較写真入れる?】 当時経理を手伝っていたスタッフが出産したのと、広報のスタッフにも子どもが生まれたので。JVCのみんなで子育てしながら、あやしながら仕事をしている、というのには驚きました。


今なら職場に子どもを連れてきて、そういうのを整備してっていうのをやっている企業がTVで取り上げられるけど、JVCは昔からそうだった。子どもを育てながら仕事ができる職場でした。当時は給料体系も未整備だったので、それも関係しているのかもしれません。

 

また、JVCはタイで設立されたのもあって、東南アジアだと働ける人が働くという感覚があります。周りの人たちみんなで子育てを手伝うという感覚があったので。JVCの事務所の中でもそれがあり、印象的でした。

 

エチオピアチームのボランティアとして入った後、ベトナム駐在員として活動を初めた経緯を教えてください。

 

ハイフォン市盲人協会傘下の点字クラスの生徒たちに西瓜の差し入れをしている様子。<br>当時ベトナムへの支援のメインは帰還難民への職業訓練校でしたが、聾学校や視覚障がい児への支援も少しだけしていたそうです。ハイフォン市盲人協会傘下の点字クラスの生徒たちに西瓜の差し入れをしている様子。
当時ベトナムへの支援のメインは帰還難民への職業訓練校でしたが、聾学校や視覚障がい児への支援も少しだけしていたそうです。

 これもたまたまで、JVCベトナム事業をやるにあたり、あの元気な子(夫)を行かせたらどうだろう?みたいな感じで話が進み、大学最終学年の秋ぐらいからJVCベトナムで働きはじめ、ベトナムに行くことになり、結婚しちゃった、みたいな感じです。

 

―え、すごい...。遠距離になるなら結婚してついていっちゃおうみたいな感じですか?

 

プラス、当時ベトナムの旅行者が今みたいに何万人もいない状況で、ベトナムに行くためのビザを取るのがすごく大変だったのもあります。


独身男性二人の駐在は、ベトナム側はあまりウェルカムではなく"危ない"という雰囲気を持っていたそうで、「家族で来る」=「安心」「若いけどしっかりしている」みたいな好感触を得られたからかもしれません。

 

紛争地などの危険な地域だったら行けなかったと思うけど、やっぱり家族単位で仕事をしやすい環境のベトナムだから、というのが大きな理由です。23歳の時にベトナムに行ったので、当時ハノイから車で4、5時間(今は高速度往路が通っているため1時間くらい)のハイフォン市に住んでいました。そこで私たちは、約30数年ぶりに暮らした初めての日本人でした。

 

ベトナム駐在中に印象に残ったエピソードはありますか?

 

ハイフォン市聾学校の中秋の名月の行事にお呼ばれした時の様子。子どもたちがとても楽しみにしている行事だそうです。後ろの白いシャツをきているのが先生たち。ハイフォン市聾学校中秋の名月の行事にお呼ばれした時の様子。子どもたちがとても楽しみにしている行事だそうです。後ろの白いシャツをきているのが先生たち。

んーいっぱいありすぎて...。笑


一番大変だったのは、移動許可書がないとどこにも行けなかったことですね。だから今のコロナで移動を制限されても、あまり不自由を感じません。


当時は公安警察につけられることもありました。日本人少ないから目立つし、やっぱりベトナム人とは骨格も違うので。常に見られているという感じでした。知らない外国人がいれば、ベトナム人は「こいつどこ行くんだ?」みたいな興味が湧いて、追っていく。

警察だけではなかったです。当時ベトナムには娯楽がなかったので。長いスカートを履いているだけでも指をさされることがありました。

 

ベトナムではスカートを履く文化がなかったのですか?

 

JVCが支援していたバクダン自動車整備職業訓練校開所式で、洋裁クラスの生徒たちと記念写真。校舎の一部はまだ建設中。みなさんが着用しているのはアオザイというベトナムの民族衣装。写真中央が稲見さん。JVCが支援していたバクダン自動車整備職業訓練校開所式で、洋裁クラスの生徒たちと記念写真。校舎の一部はまだ建設中。みなさんが着用しているのはアオザイというベトナムの民族衣装。写真中央が稲見さん。

 

スカートは家で履くものでした。女性は、外ではみんなパンツ。特に北部はそうです。だから短パンを履いていた旅行者(女性)が石を投げられた、みたいな話も聞いたことがあります。

 

―襲われる、とかではないのですね。

 

そういうのはないかな。世界一安全な国だと思います。ひったくりとかはあるけど、外国人の殺人事件とかは殆どなかったので。

 

―殺人が少ないというそれは文化的にですか?

 

というより、外交問題になるからかも。当時西側の人とはあまり交流がなかったので、それを避けたい、というのがあったのかな。モノは取られても命はなかなか取られないから、旅行者におすすめです。笑
そんなわけで、コロナが始まった時はベトナムでの生活を思い出しました。停電も多かったので、暑い中で電気がない過ごし方とか。

 

―それはなんですか?教えてください!

 

ひたすら耐えるしかないよ。笑
扇ぐとか、涼しい風があるところを見つける、とか。笑 あとはものが手に入らないことも多かったです。23歳くらいの時に経験した、限られたものの中で生活していくとか、移動の制限とか、そこで鍛えられた分は今に繋がっているな、と思います。

 

ベトナムと日本の国民性の違いとかはありますか?

 

基本的にはすごく日本人に近い
だからベトナム人の留学生や、日本で働くベトナム人がすごく多いのだと思います。仕事の仕方においても、他のアジアの民族よりベトナムの人たちの方が日本と似ています。

 

箸を使い、お米を食べる民族。仏教も、タイとかとは違って大乗仏教なので、そういう感覚が似ています。英雄が神さまになったりもするので。日本の八百万の神という考え方も、彼ら(ベトナム人)には理解できると思います。違いよりも似ている、近い部分の方が多いと思います。一つ違いをあげるとすれば、はっきり物事をいうタイプの人が多いことです。理にかなっていれば物事が通じるような国なので、曖昧にせずはっきりしないといけないところもある。駐在員の妻の会では、ベトナムに来て性格がきつくなったという話も聞きました。笑

 

ホーチミン市の障害児教育にかかわる先生方との一枚。3月8日【世界女性の日】アオザイ姿でお祝いをしている日にたまたま訪問したそうです。ホーチミン市の障害児教育にかかわる先生方との一枚。3月8日【世界女性の日】アオザイ姿でお祝いをしている日にたまたま訪問したそうです。
 

前の質問に戻ると、ベトナム駐在員として活動を始めたのは、ベトナムが好きでというより、やっぱり縁があったからベトナムに行ったのだと思います。ベトナムでも"ご縁がある"っていい方をします。「co duyen(コーズェン)」といって、「duyen」は漢字に直すと「縁」なんです。そういう感覚が通じます。英語を介すとわからない言葉でも、日本語で考えた時にもしかしてこの言葉?という感覚になります。日本人が韓国語を学ぶ感覚に似ているのかな。ベトナム語、広東語、中国語、韓国語は日本語と発音が似ている漢字が結構見つけられます。

 

では少し質問を変えて、稲見さんが思う今も変わらないJVCのことを教えてください。

 

インタビュー中の様子

会議が長い。

 

―笑笑笑

 

でも、30年前と違うことといえば、会議は長いけどけんか腰の人が減りました。


昔は、時には口論じゃないかと思うことがあったし、もっと喧嘩っ早い人が多かったです。関わる人達も平均年齢が今より10歳くらい若かったから、そういうことも関係しているかもしれませんね。

 

―なるほど、自分の意見がちゃんと言える環境は会議の長さからも受け継がれているようですが、口論よりも相手の考えや感情を理解し、冷静に議論することが増えたのですかね。

 

そうですね。ZOOMなんかが普及しだして、かえって話せる時間が長くなったと思います。30年前は現場にいかないとスタッフ同士が話せなかったから。国際電話も長く話せば高くなるので、要件だけ伝えることが多かったです。みなさんFAXって知ってます?笑 当時私がベトナムにいた時、まだベトナムと日本の間でFAXが使えなかったの。インターネットの常時接続ができなかったから、暗号みたいな文章でやりとりする時代だったんです。今は日本にいても、現場のスタッフは思ったことをZOOMやスカイプで喋れますよね。


私が現場にいた時は、自分で考えて判断してやるしかなかったので、東京に意見を聞いて返事を待って行動していたらもうできない、ということもあり、ある程度は自分たちで判断しなきゃいけないことがたくさんありました。今は現場にいて、つい東京に電話して聞けちゃうのが良いのか悪いのか。

 

経理の仕事をしていてなにか思うことはありますか?

 

お金は全てじゃないけど、お金がないとJVCの活動はできません。支援してくださる人の気持ち+お金がないと、活動はできない。それを、正確な数字としてこのくらい、とまとめているのが経理の仕事です。ちゃんと頂いたお金を、きちんと使われているのかを見ています。このくらいのお金があればこんなことできるよ、という元になる、数字をまとめるのが今の私の仕事かな。

 

最後に、これからやりたいことを教えてください。

 

JVCでやりたいことは断捨離かな。趣味が断捨離なんです。
JVCでもう少し断捨離したら、お金も入ってくるかな、と思います。断舎離して、資金源が入ってくるような活動をしたいです。プライベートでも、物事をもう少しシンプルにして生きたいなと思います。頭の中がまとまらない時は片付けをするようにしています。片付けで逃げているのかもしれないけど。笑
全部片付けようとすると嫌になるので、15分間でこのスミだけ!みたいに決めて、少しずつ頑張っています。

 

インタビューを終えて

 

インタビュー中に稲見さんから何度も耳にした、「縁があった」という言葉。稲見さんの人生がいかに縁で繋がってきたかわかるお話でした。また、ベトナム語と漢字の関係の深さや、人柄に、ベトナムの魅力を感じました。オンラインで簡単に繋がれる時代と、そうでなかった時代を経験している稲見さんの言葉から、現代のコミュニケーションや世界の繋がり方を考えさせられました。

さて、次回の予告ですが、今回も似顔絵を描いていただきました!稲見さんいわく、「イメージとしては魔女の宅急便の主役の女の子」だそうです。

なるほど~(。 ・ω・)) お楽しみに~!

 

似顔絵リレー次回予告似顔絵リレー次回予告
 
 
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いかがでしたか?
 
次のスタッフインタビューは、私たち広報インターンが大変、たいへ~んお世話になっている、あのお方です・・・!
 
以前は映像関係のお仕事をされており、音楽イベントが大好きで、今はJVCの広報担当をされているあのお方・・・!
 
さて、誰でしょう?お楽しみに~!!😲🤣🙏
 
 
 
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!🦉
それでは、また!
 
特定非営利活動法人 日本国際ボランティアセンター(JVC)
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