世界の現場から~JVCの中の人ブログ~

国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」のスタッフ・インターンが綴る、あんなことやこんなこと。

2020 第1回:パレスチナ事業 大澤みずほ

みなさんこんにちは!2020年度広報インターンの庄司です🤗

 

 

 

今回からは、2020年度広報インターンによるインタビュー記事をご紹介していきます!😮

第一回目は、パレスチナ事業を担当している大澤みずほさんです。金岡くんが記事執筆を担当しています*1ワクワク

 

それではさっそく、参りましょう!

 

(※役職は2020年度当時のものとなっており、現職とは異なる場合があります。ご了承ください。)

 

 

 

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大澤さんインタビュー中の写真いつも明るい笑顔で話してくれる大澤さん。遠隔勤務のためまだお会いできてないので、いつかお会いしたいです!

みなさんこんにちは!国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」2020年度広報インターンの金岡です。

2020年度インターンも、去年に引き続きJVCスタッフインタビューを行っていきます✨

過去のスタッフインタビューは東京事務所スタッフ日記の過去記事からご覧いただけますので、こちらもぜひご覧ください!

2020年度インターンによるインタビュー記事の第一回目は、パレスチナ事業を担当している大澤みずほさんです!

座右の銘が「何事も楽しく!」という大澤さんは、テレワークの私たちインターンJVCスタッフの「昼食雑談会」などを開いて下さり、いつも笑顔で明るい印象を持っています。

 

はじめに...学生時代はどのように過ごされましたか?

 

学生時代は、それなりに楽しんでいましたが、当たり前ですが、授業は理論ばかりで、実習に行くと肩身が狭いし、出来ることもすごく少ないしで、早く卒業して働きたいと思っていました。それは早く経験を積んで次のステップに進みたいという気持ちも大きかったです。

看護の道に進もうと思ったきっかけは?

 
大澤さん看護師時代大澤さん看護師時代

なんとなく海外で緊急医療支援に携わりたいとずっと思っていたんですけど、医者は難しいので看護師になろうと思いました。(笑)

大学の時は国境なき医師団赤十字に入ることを目指していました。そして卒業後、北海道から東京に上京し、救命救急病院で4年働いていたんですけど、働いているうちにいろいろ思って「違うな」と思い、辞めました。

北海道が大好きなので出たくなかったんですけど、勉強できる機会が多いのはやっぱり東京だと思って泣く泣く上京しました(笑)

国際医療支援に興味を持ったのはいつごろですか?

 

私の両親が青年海外協力隊出身で、父はJICA専門家として5年くらい勤めていて、母親は看護師でした。

その両親の縁で、周りの大人の人たちを子どもの時に見ていて、国際協力に親しみがあったんです。その中に日本赤十字の方やWHOの方もいて、そういう仕事があるんだな~となんとなく思っていました。

子どものころにドキュメンタリーで、自分と同じくらいの年の子どもが、大変な状況で生きているのを見て、すごく不平等だなと感じていました。

看護師として働いてみて、現場の人がどういう思いで働いていましたか?

 

やる気があって自分なりの看護感を持っていた人もいて、そういう人は休みの日も勉強していたし、そうではなく生活ができていればいいやって感じの人もいました。

国際医療支援を目指す人は、大学にも職場にもいなかったので、話を共有できる人がいなくて少し寂しかったですね。。

JVCにたどり着くまではどのような経緯があったのですか?

 

いくつか段階があってJVCにたどり着きました。

日本の救命救急で働いていた時は、運ばれてくる人の半分くらいは意識が無く運ばれてきていたんですね。その人たちの意思の確認なしに治療を決めていくということに倫理的に違和感を感じていました。

患者さんに意識がない場合、よほど事前に家族に意思表示をしていない限りは、家族の決定で治療方針が決まるのですが、自分の命の終わりも含めて人が"自分がどう生きたいか"を選べないのはおかしいなと感じました。

日本でも難しい話なのに、海外の紛争地などでの救命救急は医療器具や設備がない中で治療を行わなければならないので、さらにそういった現状を目の当たりにしていくだろうなと想像しました。

そして病院での治療が終わると、その人は自分の生活に戻っていく。けれども、障がいなどが残った場合は完全に元の生活に戻れるわけではなく、若ければ若いほどその先の長い人生を障がいとともに生きていくことになります。

そう思ったとき、病院の中で一時的に関わるよりも、予防という観点を含めて継続的に関わることのできる地域保健分野に興味をもったんですね。

その後、青年海外協力隊に応募し、パラグアイの14床くらいの小さい病院に配属されました。活動内容は、病院の医療サービスの向上、生活習慣病の予防啓発などでした。

日本の看護師免許しか持っていないため、協力隊員は医療行為(注射など)ができません。

病院で一緒に働いている人たちは各々看護師としてのプライドを持っていて、「どうしてあなたは医療行為をしないの!」とか、ボランティアの自分の立ち位置があまり伝わっておらず、そのなかでの活動は本当に難しかったです。

もともと病気になった後に病院で治療するよりも、自分たちの体のことを知って自分たちで予防できるように、健康啓発活動をしたいと思っていたので、1年くらい経ったときに、子どもたちに健康教育をしたくて病院での活動と並行して学校で健康教育を始めました。

校長先生は思ったよりも気さくで、「やってくれるの?いいわよ~!」とすぐに受け入れてくれました(笑)

教えていたことは、手洗いや歯磨きのことなどベーシックなことです。パラグアイにはあまりそういった習慣が浸透していなくて、調査を読んだら9割の子供に虫歯があるんです!

子供たちは本当に素直だったし、歓迎してくれたので、半分先生のような期間で本当に楽しい時間を過ごすことができました。

 

パラグアイの子どもたち。みんないい笑顔ですね!.jpgパラグアイの子どもたち。みんないい笑顔ですね!

海外のNGONPOなど、現地で働き続けようと思ったことはありましたか?

 

協力隊の時は思いませんでしたね。

パラグアイに行って思ったことは、パラグアイの人々はお互いに助け合って生きていける雰囲気があるということです。

彼らは自分たちの政治、文化、歴史などについてよく知っていて、日本のこともよく聞かれました。そのおかげで、今まで意識していなかったことに気が付くことができました。

自分は保健医療の分野でと思っていたけど、パラグアイで過ごす中で、人の健康を害する要因は、保健医療だけでなく教育、経済、色んな問題と絡まっているということを改めて感じて、この辺で、保健とか医療の分野にこだわらない活動をしたいなって思うようになりましたね~。

幅広い仕事をしたくて、日本に帰ってきたんですね。

 

そうですね。次どうしようかなって思っていたんですけど、NGOは未経験者が入るためのハードルが高いイメージがあって、まずはインターンをしてみたいと思い、緊急支援をメインでやっているNGOで半年間インターンをしました。

その後、就職先を探していたら偶然JVCのポストが空いていて、調べてみると団体の透明性が高く、職員のプロフィールが公開されていているような「顔が見える」組織である点が好印象でJVCへの応募を決めました。

2020-staff-interview-osawa-profile.JPGJVCは現地事務所スタッフも顔写真つきプロフィールを掲載しています(画像はカンボジア現地事務所)。

意外と職員の顔写真が公開されているNGOって少ないんですよ。ましてや、JVCみたいにローカルスタッフまで載せてるところはほとんど無いと思います。

応募したポストは東京事務所でのスーダン担当だったんですけど、実はスーダンへの強いこだわりはありませんでした。

というか、私は元々地域とかイシューへのこだわりがあまりないんです。政治とか権力とか、自分たちがコントロールできない人為的なことで、理不尽に傷ついたり苦しんでいる人をサポートできたらと思っているので。

そのあとすぐに、パレスチナ事業を担当されるんですよね。

 

半月くらいオリエンなどをした後、急に2か月間パレスチナに行くことになり、帰ったあとに代表と事務局長に呼び出され「え!クビ!?何かしでかしたっけ...」と思ってドキドキしていたら、パレスチナ事業の東京担当の引継ぎを打診され、自分でよければと受けることにしました。

私はずっとNGOとかで働くなら現地が良いと思っていたのですが、家族のこともありしばらくは日本にいることに決めていていました。でも、JVCで働く中で、現地駐在だけではなく、日本でからできるサポートもたくさんあるし、重要だなと感じています。全然海外駐在するだけが仕事じゃないな~って。

私は、意図せず現地で働くのと日本の事務所で働いた期間がちょうど半々くらいってことに、今振り返ってみて気づきました(笑)

国際協力の現場で働いている時の大変さはなんですか?

 

チームでは働いていることはどこで仕事をしていても常に意識しています。JVCは、現地パートナーと提携して事業を行っていますが、現地パートナーとの、約束事や調整をすることが非常に苦労していますね。

東京事務所では、全体を見てマネジメントすることと同時に、支援者さんとのやり取りが特徴で、とても楽しく仕事をさせていただいてますね。JVCのスタッフは代表や事務局長も含めてみんなとても気さくでサポーティブで、本当に恵まれていると思います。

支援者さんとお話をする機会や、担当しているパレスチナ事業への反響をいただける機会が多いのは、とても嬉しく、やりがいを感じています。

パレスチナでの人権教育についてお聞きしたいです。

 

金岡:大澤さんが書いたパレスチナのサマーキャンプの記事「JVC - 学生たちのディスカッション」で、男子に女性の人権問題についての質問を聞いていました。私は、すぐに答えは出ないけど、質問をすること自体に価値があると思いました。パレスチナの女性が、女性のエンパワーメントをどう捉えているかについてお話を伺いたいです。

エルサレムで一緒に活動しようと思っている団体は、代表も女性で、女性の人権意識をとても大事に考えているところですね。

しかし、社会では女性の人権の現状に対して、男女関係なく「このままでいい」と思っている人がいます。

パレスチナでは、「女性は弱いから男性が守るべき存在である」という考えから女性の権利が制約されている面があるけど、それでいいと思っている女性がいるのも事実です。

パレスチナ事業の一枚!.jpgパレスチナ事業の一枚!

そのような女性たちにエンパワーメントを訴えるのは、おせっかいになってしまう可能性がありますね...。

 

私個人に意見としては、色んな考え方があることを知ることができればいいんじゃないかと思います。

最終的にどう思うのかは本人が選ぶことなので、女性のなかで色んな選択肢が生まれたらいいのではないかと思います。

現地の女性たちと話すときに気を付けていることはありますか?

 

何かを決めつけて話すことは絶対にしないようにしています。自分がやられても嫌ですよね。

当たり前のことですけど、相手の家庭の話など、パーソナリティに深く入る話には注意を払いながら話すようにしています。

パレスチナは住みやすかったそうですね!

 

パレスチナの人たちは親日でとても優しいですね。なぜ親日かというと、アニメやテクノロジーの面で日本が知られていることが大きいと思います。

でも驚いたのは、第二次世界大戦で原爆を落とされたという事実を彼らは知っていることです。「ヒロシマ」「ナガサキ」などの単語を使って話をしてくれました。戦後復興が成功していることや日本が70年間戦争を行っていないことへのイメージの良さがあるのだと思います。

パレスチナの占領と封鎖は現在進行形で進んでいるので、より「平和な国」への印象が良いんです。せっかくパレスチナ人が良いイメージを持ってくれているのだから、日本は日本にできるアプローチをしていってほしいと思います。

国際協力には、様々な関わり方があるが、大澤さんは国際協力に「こう関わったららいい!」という理想像のようなものはありますか?

 

少し難しい質問ですね...。とりあえず現場に飛び込んでみるというのは今までを振り返るとあるのかもしれません。現場に飛び込むというのは、とにかくチャレンジしてみるということですね。

私は、路頭に迷ったら南の温かい島に行けばなんとかなるだろういいやって楽観的に物事を考えています(笑)よほど特殊な事でない限り、チャレンジしたからといって死ぬわけじゃないですからね。

でも私が自由に行動できる背景には、チャレンジしてダメなら医療の道があるしっていう考えがありました(笑)

未来を深く考えすぎて一歩踏み出せないる若者も多い気がするけれど、どんどんチャレンジしてほしいです!ただ、こういう仕事をしようと思うと身に付けておいた方が良いことはたくさんあるので、色んな人の話を聞いて準備することをお勧めします。

そして、職員として働くことだけが国際協力ではありません。ボランティア、インターン、寄付など、色々な関わり方があるので、自分の生活や人生設計に合った方法でできることを続けていくのが良いと思います。

おわりに...

 

次回のスタッフインタビューは、経理労務担当の稲見由美子さんです。

ベトナム料理が得意だという稲見さん。東南アジアの温かい空気をを感じられるインタビューになりそうです。✨✨

 

大澤さんに稲見さんの似顔絵を描いていただきました! .png大澤さんに稲見さんの似顔絵を描いていただきました! 

 

 

 

 

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いかがでしたか?

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

 

季節の変わり目で体調やお肌の調子が悪くなる時期ですが、

みなさん、お体ご自愛ください☺

 

それでは、また🐛🤍

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:o(´∀`)o

2020年度インターンインタビュー⑤ 【玉村 優奈】

みなさんこんにちは。広報インターンの金岡です!

 

2020年度インターンインタビュー第5弾と称して、今回はKOREAこどもキャンペーンインターン玉村 優奈さんにインタビューを行いました。✨

 

KOREAこどもキャンペーンとは 1995年に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で起きた自然災害の緊急支援のために結成された人道支援キャンペーンです。

 

北朝鮮の子どもたちへの食糧支援、医薬品支援、農村部での太陽光パネル設置などに取り組んできました。

しかし、この過程で日本社会では理解を得ることが難しい現状があり、東アジアで平和の輪を広げていくためには相互理解が必要という思いから、2001年に子どもの絵画交流「南北コリアと日本のともだち展」を他団体とともに開始しました。

 

さらに2012年からは日本の大学生と平壌外国語大学日本語学科の大学生による「日朝大学生交流」も実施しています。

 

「考え続ける人」で、質問力がすごい!印象の玉村さん。なかなかお会いする機会も無かったので、玉村さんの個性や思考を深堀させていただきました! 👍

 

それでは、インタビューに参りましょう!!

 

 

はじめに…自己紹介をお願いします!

はい。KOREAこどもキャンペーンインターンの玉村です。大学では開発と国際協力について学んでいます。

卒論は「JICAの環境社会配慮ガイドラインー異議申立案件をめぐってー」という題名で、ミャンマーとプロサバンナでの事例を扱い、見過ごされる配慮がどのようなものであるかを書きました。大学院に進学予定です。

 

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インタビューが始まりました!!
国際協力に興味を持ったきっかけは何ですか?

たくさんの要因があります。

 

国際協力に興味を持つべき人生だと考えたきっかけの1つは、高校生の時にインターアクトクラブ(ディベートをする部活)に入っていたことです。ディベートには準備型、即興型があるのですが、準備型英語ディベートで、「日本は自衛隊PKO活動に積極的に参加させるべきか」という議題で、賛成・反対の両方の立場を半年間の準備期間を用いて参加しました。

 

大きく衝撃を受けたのは、PKO隊員が現地の人にレイプや誤射で被害をもたらしたことです。平和のために作られ、争いの抑止力が期待されている組織なのに、現場では必ずしもうまく機能していないことに疑問を抱きました。

こういったところに違和感を覚え、もっと国際協力という分野を深く知りたくなり、現場での被害をどうやって少なくしていくかに興味を持ちました。

 

自分がただ議論するだけではなく、行動できることは何かと考えた結果、大学でも国際協力を続けて学ぼうと思いましたし、形に残るものとして卒論も書きたいと思ったんです。

 

高校時代の学びから、日本という国が海外の国で開発をするときに、被害ばかりを与えてしまっているのではないかと懸念するようになり、開発において被害を生まないように配慮するためには、どのような視点が環境社会配慮ガイドライン改定に必要なのか考えながら研究しました。

 

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大学でもディベートを続けているそうです!!
元々こどもの時から国際協力に興味はありましたか?

強く興味を持ったのは高校生の時ですが、こどもの時からも興味はありました。

 

小さい時にはガールスカウトに入っていて、募金などの慈善活動を日常的にやっていたことや、親族の知り合いに海外の方がいて、家でよく遊んでいたので、日本だけではなく、国際的なことに興味を持つことができた環境でした。

 

また、大学2年生の時にフランスに留学しました。フランス留学時に、韓国や台湾出身の学生と仲良くなり、お互いフランス語で喋っていたのですが、問題意識が似ていてたのが印象的でした。その際に、日本の近隣諸国にも目を向けなければならないと思ったので、KOREAこどもキャンペーンでインターンを受けようと思ったんです。

 

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フランス留学時代の玉村さん。
「KOREA こどもキャンペーン」の普段の業務についてお聞かせください!

普段の業務は情勢ウォッチをしています。南北朝鮮のニュースを読み、日本との関係も踏まえながら重要なものをまとめて一か月分の報告をしています。

 

また、「東北アジア大学生平和交流プログラム」内で勉強会をしていて、その報告書やブログ作成を行ったり、「南北コリアと日本のともだち展」のイベントに参加して写真撮影やブログを書いたりもします。

 

私は、日朝間のニュースをしっかり把握したかったので情勢把握をしていますし、良い勉強の機会だと思っています。日韓の若者間の交流イベントの開催や在日コリアンの方々との交流会に参加することで、政治的な情報を得ると同時に個人的なプライベートの面での関わりを持つことができました。

 

KOREA こどもキャンペーン」の課題やこれからしたいことはありますか?

2020年は新型コロナウイルスの流行によって、例年行われていた対面での交流というものが難しくなってしまいました。

 

大学生交流など、日朝間のコミュニケーションも難しくなった今、何ができるのかをとても考えました。

 

確かなのは、様々なプログラムに参加した方の話を聞き、活動やプログラムに関わってきた人たちの意見や感想、話を聞くことは貴重であるし、その人たちのつながりは無くしていけないことだと思います。

 

さらに、私たちの問題意識がまだ届いていない人たちへ知ってもらうことも大切だと思っています。なので今は、私たちとその人たちが対面してつながる準備期間だと思って、色んな活動をしていきたいと思っています。

 

個人的には在日コリアンの方たちと交流したり、勉強会でコミュニティを増やしていく予定です。

 

インターンとしては、勉強会で活発に行われた議論をできるだけ言葉にして、議事録にして残すようにしています。そうすれば、次のインターンなど活動に関わっていく人に記憶を継承することができると思うので、しっかりと続けていきたいです。つながりや想いを言葉にして伝えていくことが重要ですよね。

 

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インターンへの熱意、伝わります!!(写真は2019年にグローバルフェスタにJVCのボランティアとして参加したときのものです。)

 

かき氷が大好きと聞きました!まず、好きな味は…?

それは難しい質問ですね(笑)今は、色んなかき氷が出てて、しょっぱい系や甘い系、つくだ煮のようなご飯系のものまであるので、1つに絞るのは難しいんです!基本的にかき氷すべてが大好きで愛してます!

 

作業するときに糖分が必要なので、がっつり当分補給ができるかき氷が好きです。

 

これからクリスマスなんですが、クリスマスケーキの形をしたかき氷とかあったら素敵ですよね!?

 

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これがかき氷!?とても美味しそうです…。
素敵です!!ズバリ、玉村さんにとって「かき氷」とは?

「はかない存在」ですかね。削られた瞬間から溶けてしまう。つまり、最終的には形を留められずに溶けてしまうのが、かき氷のはかなさだと思います。

 

あ、かき氷を好きな人を「ゴーラー」というので、ぜひみなさんも「ゴーラー」になりましょう!

去年は260杯ほど食べましたが、「ゴーラー」の方にはそれを1か月で達成する人もいるので、私はまだまだです…。

 

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ゴーラーへの道はまだまだ続く…。

自分の人生で大切にしていることはなんですか?

2つあります。

 

1つは人脈で、2つ目は考えることです。

 

1つ目の人脈に関しては、大学生になって研究で色んな人にインタビューをしたり、また、イベントに出た時には、様々な情報を教えてくれる人に出会います。

 

ただ情報をもらうだけでなく、その人たちがどのような問題意識を持っているのかを大事にして色んな人と話をしていきたいと思っています。相手の問題意識や人となりを知り、必ず考えるということを忘れないようにしていきたいです。

 

考えることは疑うことでもあると思います。当たり前であると思っていて気づけないことのなかに、私たちの問題が隠れていると思います。身の回りに起きていることを、「どうしてなのか」と疑い、自分が学んだことと結びつけて考えることを日ごろから行っています。

 

私も考えることが好きです!…でも、考えることは疲れませんか?

私は考えることに楽しさを感じる時があります。

 

両親のことを「お父さん」「お母さん」と呼ぶ人は少なく無いと思います。ある日、私の親はセクシャルマイノリティであること、これまで装ってきた姿であり続けることが苦痛であることを伝えてくれました。以降、私は両親の呼び方を変え、それぞれを1人の対等な人間として捉えるようになりました。

家庭の中で当たり前に使われる「お父さん」「お母さん」という呼び方には性別や社会的役割の意味が含まれ、そう呼ぶことによって相手にそれを期待し、求めてしまうのではないかと考えます。親も1人の人間として生きているので、家庭内では男女、戸籍上の役割に当てはめて呼ぶ必要は必ずしもないと思います。

 

相手のことを考えることって塩梅が大切ですよね…。踏み入りすぎると逆に関係を悪くしてしまったり。。

たとえ相手が怒ってしまったり、悩みを持っていたりしても、どうして今相手がその発言をしているのかを考えることは、配慮ができることにつながると思います。発言の意図を考えることも私は好きです。

 

相手の意図を考えることによって、ポジティブに物事を解釈できるのは素晴らしいことだと思います!

そうですね。現在の社会は、ポジティブであることが大事とされていると思うのですが、ネガティブであることもそのまま受け入れてあげることも大切なのではないかと私は思います。

 

個人的にネガティブに考えてしまう時もたくさんあるのですが、ネガティブな時に思う「辛さ」や「しんどさ」も何か理由があるので、それも考え、要因を挙げていき、少しでもそういうことが起きないようにするために、どうすればよいかを考えることを怠らないようにします。

 

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素敵な考え!!話も弾みます!
玉村さんは普段から質問力がすごいなと思っています。どのような視点から質問を考えていますか?

私が現在所属しているゼミの教授が、「質問は思いつくものではなく、考えて出すものだ」とおっしゃっていました。それ以来、直感的な質問のほかに、相手の原動力はなんだろう、どういう物事の考え方をしているのかなど、相手の人となりに焦点を合わせて思考を巡らせて質問をすることが多いです。

 

あと、私はディベートをやっていたので、質問への瞬発力が養われたのだと思います。今後は、自分の研究のためにも、相手に配慮した形でもいい質問を考えなければいけないと思うので、質問の結果どういうリアクションが来るかも想定して、質問をした後も、表現や言い方が正しかったのかを自問自答するようにしています。

 

無人島に一つだけ持っていくとしたら…?

想像力です。

 

どんなことも想像することによって生まれてくると思います。人間としてできることは考えることや想像することだと思います。人はいなくてもモノはあるのだから、その辺にあるものがなぜ存在するか、どうやって使えばいいかなど考えていたらあっという間に時間が過ぎると思います。

 

例えば石は、都会で転がっていても特に意味は無いですが、無人島にある石は音を鳴らして動物とのコミュニケーションに使えるかも?といった音としての役割、ミニストーンヘッジを作れたりするかもしれません。

 

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いかがでしたでしょうか!?

玉村さんは、常に「考えること」を大切にしている人なのだと思いました。

考えることは、相手に配慮することでもある。身の回りの当たり前のことを疑う。

とても素敵な考えだと思います。✨

 

その冷静かつ合理的なイメージと、かき氷に対する愛やテンションの高さとのギャップが私は面白かったです!🤣

 

好きなものに関しては考え続けられるけど、そうではないものも興味を持ってみようと身を引き締めました!!

 

 

 

最後まで読んで下さり、ありがとうございました!

インターンインタビューは、残すところあと1人となりました。😢

 

最後は、玉村さんと同じKOREA こどもキャンペーンインターンのあの方…?

 

お楽しみに!!👍👍

 

2018 第3回:収益事業(カレンダー)伊藤 圭

 

みなさん、こんにちは~!広報インターンの庄司です🍊

最近、いただきもののはっさくやデコポンを毎日食べています🍊🍊

 

前回お伝えした、2021年度インターン募集ですが、なんと!応募期間一週間の延長が決まりました!!!悩んでいた方、締め切り逃した~と思っていた方、ぜひぜひご応募ください✨(※3月8日(月)締め切りです)

www.ngo-jvc.net

 

実は今回で、過去のスタッフインタビュー紹介が最後になります!😲

次回からは、私たちがJVCスタッフにインタビューをした記事をご紹介していくので、お楽しみに!!😊

 

それでは早速、2020年度の収益インターン担当スタッフとしてもお世話になっている、伊藤さんのインタビューに参りましょう!

 

 

 

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微笑む伊藤さん。やはりお父さん。微笑む伊藤さん。やはりお父さん。

皆さんこんにちは。2018年度広報インターンの藤井です。これが私のインターン生としての最後の記事になります!ぜひ最後までご覧ください。
2018年スタッフインタビュー第3回目は収益事業(カレンダー)担当の伊藤さんです。3姉妹のパパだという伊藤さん、フリースでますますお父さん感がアップしました。フリーカメラマンから国際協力NGOに入ることになったその経緯をじっくり伺いたいと思います。

 

国際協力に興味を持ったきっかけはなんですか?

一番最初に興味をもったのは小学生の頃だったと思います。国際協力とか森林保護、飢餓撲滅だの言っていた記憶があって、なんでそう言ったかはよくわからないんですけど、漠然と社会問題に関心を持っていました。
人格が形成されると言われている中高生のときには漫画『美味しんぼ』にはまっていたんですよね(笑)かなり影響されてしまって、「農薬は食べ物にも生産者の健康にもよくない!」とか、「添加物禁止!」とか思うようになりました。食べ物のことを考えると輸入の多い日本では世界規模の問題になるわけですよ。実家が中華料理店だったので、残飯がどうしても出てしまう、もったいない、世界には飢えている人がいるのに、という感じですね。

 

写真はいつから始めたのですか?

中学生のときからカメラに興味を持っていました。家に父のカメラがあったんですけど、当時は露出もピントもマニュアルですから、全然使いこなせなくて。それが悔しくて、中2のときにお年玉をはたいて一眼レフを買って、中高はずっと写真部に所属していました。
高校生の私は「もつけ」(※津軽弁でお調子者の意)でした。はじけるときははじける少年って感じで、写真以外にも応援団に入っていましたね。応援団といえば甲子園ですが、僕の高校の野球部は1回戦で負けるようなところだったので、応援のし甲斐がなかったのが残念ですね...苦笑 高校は一応進学校だったんですけど、地元に大学がなかったのでイメージが湧かなかったんです。周りに大卒の大人もいなかったし、特に勉強したいことがあったわけでもないので大学進学の必要性を感じていませんでした。なので、高校卒業後は大学には進まず、写真の専門学校に進みました。

 

専門学校では2年生になると4つのコース(人物、広告、報道、芸術)に分かれたんですね。僕は風景とか花なんかも撮っていたんですけど、社会問題に関心があって報道写真科に進みました。所属したゼミの先生はずっと原発を撮っていた人で、影響を受けて就職せずに、自分のテーマを見つけて写真を撮り続けようと考えていました。とはいえ、社会問題がありすぎたからか、これといって撮りたいと思うようなテーマは見つからなかったんですよね。その頃になんとなく世界の貧困問題などが気になっていて、他のNGOでアルバイトの募集があって応募しました。今のあなた方と同じくらいの年ですね。

 

カメラマン時代について教えてください。

さっき言ったNGOには約3年いたのですが、写真とは関係のない事務の仕事でした。こういっては何ですが、誰でもできる仕事だったんですよね。自分の得意分野を作らないと何の役にも立たないなと思い、写真の世界に戻ろうと思いました。そこで、NGOを辞め、プロの写真家や業者が利用するプロラボで、フィルムの現像をする仕事を始めました。1日中暗室にこもって太陽に当たらない仕事をしていたので、まるでもやしのような生活でしたね(笑)そこも約3年いましたが、裏方ではなく撮る仕事をしたいと思うようになり、新聞社の出版写真部に契約カメラマンとして入りました。

 

そこでは政治家のインタビューをはじめ、芸能人など人を撮ることが多かったですね。医療のムック本も出していたので、手術の様子を撮ったりもしていました。いい写真が撮れたら当然うれしいのですが、それ以外にも大臣へのインタビュー内容を聞いたり、普段は入れないようなところに入れたりするのも面白かったですね。

 

ちょうどその頃、父と母に相次いでガンが見つかったんです。両親は離婚していて、父は東京にいて母は一人で青森に住んでいました。ちょうど契約が切れる頃で、父はフリーになる前に亡くなったんですが、母の世話をするために青森に帰ったほうがいいのか悩みましたね。結果的には、フリーになったら時間の余裕ができるので、空いた時間に青森に帰ることにしました。それから毎月1週間程度青森に通う生活が約4年続きました。

 

母の治療の合間は普通に生活しているので、家でゴロゴロしていているのはもったいなくて、青森の風景や民俗行事を撮り始めました。写真がたまってきたので津軽の紹介をする「津軽Style」というホームページを作りました。
http://tsugarustyle.jp/

 

その間には東日本大震災があって、前にいたNGOの人たちと一緒に被災地を回りました。毛布や日用品などの支給もやりましたけど、私は主に撮影でしたね。被災地の状況や活動の記録のために撮ってました。その写真は海外へ寄付のPRに使われて、けっこう寄付が集まったと聞いています。それまで芸能人などを撮る仕事が多かったんですけど、その頃から人の役に立つ写真が撮りたいと思うようになって、エリアガイドの仕事をするようになりました。取材して、写真撮って、記事も書いて。私が紹介した記事や写真でお店が繁盛するようになったらうれしいじゃないですか。私は青梅に住んでいるんですけど、実は青梅っていい感じのカフェがいっぱいあるんですよ。知る人ぞ知るカフェの街なんです。これを紹介したいと思って「青梅カフェ」というホームページを立ち上げました。
http://ome.town/cafe/

 

JVCに入った理由を教えてください。

地方の取材をすることもけっこうあって、2017年8月に銚子のイルカウォッチングのガイドさんの取材に行ったんですね。話を聞く中で、その人が「昔の所属していた職場のサイトを懐かしく見ていた」と言ったことが妙に気になったんです。私が昔所属していたところはNGOだな、最近のNGO業界はどうなっているのだろうかと色々と見ていたら、「写真が好きな人」という言葉に目が留まりました。何かと思って見たら、JVCのカレンダー担当の求人情報だったんです。私が日ごろから心がけていることに「やれることはやろう」というのがあって、例えば道に落ちているゴミを拾うとか、小さなことでも私にできることで誰かの役に立つならなるべくやろうと思っているんですね。それで仕事を探していたわけではないんですけど、私で役に立つならやろうと思って応募しました。

 

JVCの印象を教えてください。

一番の魅力はスタッフの人のよさだと思います。JVCのスタッフはボランティアさんでもそうなんですが、まず受け入れるんですよ。その人を認めて意見を聞いてくれる。入ったばかりで何もわからないからあの人の意見は聞かなくてもいいよ、とはならないんですね。
何か意見を言うと真剣に答えてくれます。そういったところが団体全体の姿勢に表れていると思いますね。辞めたスタッフが遊びに来ることも多いのですが、人間的な魅力がある証拠だと思いますね。

 

カメラマンとしての経験が、今どのように役に立っていると感じますか。

カレンダーの担当としては、写真家とのやり取りにおいて専門用語を使った話ができるときとか、写真を選定するときに感じますね。
カメラマンとしては、現場にいないカメラマンなんてただの置物でしかないって思っていますから、現地の様子を撮りに行きたいですね。

 

ーちなみにお家のカレンダーはJVCカレンダーですか?

 

今年からJVCカレンダー(と貰い物のカレンダー)です(笑)

 

最後に、国際協力を目指す後輩にメッセージをお願いします。

津軽衆(※津軽の人のことをそう言います)であることにアイデンティティを感じている私から言えることは、国際協力に限らず自分の根っこをしっかり張ってほしいということです。パレスチナ人とかクルド人などがいい例だと思うんですけど、その人の持っているアイデンティティというのはかなり重要で、国際協力の現場に行くと必ず突き当たる問題だと思うんですね。それを無視して自分の意見を押し付けるからケンカになるし、エスカレートすると紛争や戦争にも繋がっていくわけです。

他人を認めるには「自分とは違う」ということを認めるところから始まるわけですが、じゃあ「私」っていったい何者なのか。

 

日本人ということを強く意識して、国のために働けということではないですよ。自分の価値観を大事にしてくださいということです。自分がいいと思うこと、嫌だと思うこと、人に見せたい自分、人からこう見られたいと思う自分、などを突き詰めていくと、自分がいったい何者であるのか分かると思います。根っこがしっかり張っていれば、大きく枝を伸ばすことができます。根っこがしっかりしていなければ、すぐに折れてしまう。根っこさえしっかりしていればどこでもうまくやれるのかなと思います。

 

インタビューをしてみての感想

JVCに入るまでの経緯を伺っている中で、節々に「やれることはやろう」というモットーが感じられました。また、この記事を書くにあたり、改めてHPを見てかっこいいな~と思いました。ぜひみなさんもHPを訪ねてみてください!ちなみに、ライターをされていただけあって、この文章もかなり校正されてしまいました(笑)(藤井)

 

伊藤さんは、直感でいろんなことに挑戦されていて、JVCで働くことになったという経緯も聞いていて大変面白かったです。波は多いけれど、自分で根っこをしっかり張っていたからこそ上手くいったことなんだと感じさせられました。事務所ではいつも2リットルの水を飲んでいます(^^♪。(竹内)

 

次回は、この似顔絵でもうおわかりの方もいると思いますが、、、あの方です!お楽しみに~

伊藤さん作大澤さん似顔絵.jpg
 
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いかがでしたでしょうか?
 
伊藤さんの想いがつまった2021年度のカレンダーはこちらからご購入いただけます↓🌼
 
これからは、私たち広報インターンがまだまだインタビューしきれていないスタッフのみなさんの魅力や背景をお伝えしますので、楽しみにしていてください!
 
最後までお読みいただき、ありがとうございます!🌸
 
 
それでは、また!
 
 
 
 

2018 第2回:スーダン現地駐在員 山本恭之

 

こんにちは!2020年度広報インターンの庄司です!

 

先日、2021年度インターン説明会を終え、少しホッとしています・・(緊張した~)☺

募集はまだ(ぎりぎり!)しておりますので、ご興味のある方は下記からご覧ください!🌸🍊

www.ngo-jvc.net

 

さて今回は、JVCのホームページ内から 2018年度のスタッフインタビュー第2回をご紹介します! インタビュイーは、現在もスーダン現地駐在員の山本さん!どんな内容となっているのでしょう・・・楽しみです👀

 

注:役職は2018年当時のものとなっており、現職とは異なる場合があります。予めご了承ください。

 

 

 

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明るさ全開の山本さん。終始笑いの絶えないインタビューでした。明るさ全開の山本さん。終始笑いの絶えないインタビューでした。

皆さんこんにちは!2018年広報インターンの藤井です。今回はスタッフインタビューの第2回目ということで今回はスーダン事務所の現地駐在員の山本恭之さんにインタビューしました。山本さんは2018年4月に入職し10月からスーダンに赴任をしていますが、インタビューは赴任前の東京事務所での勤務期間にお伺いしています。
山本さんはこってこての関西人で、まわりに笑いを巻き起こすムードメーカーです。いつも明るい山本さんですが、今回は内に秘めた熱い想いも伺うことができました。山本さんの全てを余すことなくここに記していきたいと思います!

 

国際協力に興味を持ったきっかけはなんですか?

あれは...19歳の春ごろでした...(遠い目)。大学2年生のときに、Merryという学生団体に入って、フィリピンの「スモーキーマウンテン」という地域でのスタディツアーに参加しました。そこで、ぼろぼろの服を着て裸足でごみを拾っている女の子に出会ったんです。何で学校に行かずこんなところに裸足でいるのだろうかと疑問に思い、通訳の方を通して聞いてみると、その少女は「今日ごみを取らないと私死んじゃう。」と答えました。当時学校の先生になろうと思っていたのですが、学校の先生になるよりも大事なことあるやん、と気づき、学校に行くまでの支援の方が重要なんじゃないかと思ったのが国際協力の道を志したきっかけです。このスタディツアーの後、「ノンフォーマル教育」という学校教育以外の教育を通して何かできることがないかなと探し始めました。

 

スモーキーマウンテンの近くに住む子どもたちと言葉を交わす山本さんスモーキーマウンテンの近くに住む子どもたちと言葉を交わす山本さん
 

ちなみに先生になりたいと思ったのはいつからですか?

高校2年生くらいの頃です。最初は子どもが好きだから小児科医になりたいなと思っていましたが、あかん、俺血怖いし無理やわ、って (笑)小学校の頃に憧れていた先生が「人の不幸の上に自分の幸せを作るな」と話していて、その生き方に憧れました。それが教員を目指したきっかけですね。そのため大学は教育学部に進学し、小学校と中高の数学の免許を取りました。

 

勉強面以外ではどんな大学時代を送っていたんですか?

あれは...大学1年の春でした...今でも忘れない4月のこと...(遠い目Part2)。YMCAというボランティア団体があって、ここで野外リーダーやスポーツリーダーというボーイスカウトのようなことをやっていました。そこでは子どもたちをキャンプに連れて行ったり、サッカーを教えたりしていました。その後、大学2年生のときにMerryに入り、3年生のときには代表も務めました。性格は今と変わらずとにかく陽気(笑)本当に忙しくて、学校にあまり行けずいつも友達に助けられてテストを乗り切っていたから「レアキャラ」と呼ばれていました。実家暮らしにも関わらず家にもあまり帰らなかったため、家に帰ると久しぶりに家族全員揃ったから、ということで乾杯したりもしました。それくらい大学時代はずっと外にいて、たくさんの人たちとの出会いや経験を大切にしていました。

 

山本さんは青年海外協力隊としても活動していたと伺いました。その時の経験を教えてください。

大学卒業後は新卒でNGOに入りたかったけど、武器になるような強みがないなと思いました。そこで、今まで学んできたノンフォーマル教育を生かして経験を積める場所はどこだろうと考えたときに、思いついたのが青年海外協力隊でした。
青年海外協力隊ではパナマに派遣され、国立図書館での読書推進活動をメインに行いました。また、パナマには都心からちょっと離れたところに本を見たこともない子どもたちが住んでいる地域があったので、その子たちのために移動図書館も行いました。このような地域での活動を通して、地方は教育が行き届いていないな、ということを痛感したので、JICAの人に「自分は地方に行きたいんだ」と拙いスペイン語で主張しました。そして、1年後に違う地方の都市に移り、本の読み聞かせや識字教育などを行うことが出来ました。また、クナ族という先住民族がいる地域でも図書館がなかったので、図書館を作り運営する手伝いなんかもしていました。

 

村の中央市場で読書推進活動を行う様子@パナマ村の中央市場で読書推進活動を行う様子@パナマ
 
読み聞かせを行う山本さん(セリフに感情を込めているのか、表情が険しすぎるような...?)読み聞かせを行う山本さん(セリフに感情を込めているのか、表情が険しすぎるような...?)
 

JVCに入った理由を教えてください。

実はパナマから戻ってきた後、青年海外協力隊の制度を用いてフィリピンのNGOで半年間働いていました。フィリピンではずっと学んでいたノンフォーマル教育を行いました。

半年間の活動が終わった後何をしようかと考えたとき、自分は外務省やNGOなど様々なアクターを繋ぐことが出来るような人になりたいと思いました。そのためにもっと現場で経験を積みたいと思い、現場主義のNGOに入りたいと思うようになりました。こんな経緯から様々なNGOを見ていたのですが、その中でやたら破天荒な団体だなと思ったのがJVCでした(笑)

元々名前だけは知っていたのですが、JVCの活動を見たときに、各々が意志を強く持って心から世界平和を願い、問題の根本を解決したいという気持ちを強く感じ取れたんですよね。 ちょうど1つポストが空いていたので応募はしましたが、正直受かるとは思っていませんでした。でもここで働く人たちと話がしてみたいという思いから応募してみたら、なんとか二次面接まで進むことができて。

「やった、この人たちとまた話ができる!」と思って、面接日までに面接官の人たちのことを徹底的に調べましたね。面接当日に様々な質問をぶつけるとすごい真摯に答えてくれて、その姿を見て、この人たちとともに活動したいという思いが増していきました。

 

ちなみに活動国にこだわりはありましたか?

今もそうですが、とくに活動地にこだわりはありませんでした。僕は「苦しんでいる子どもたちがいれば」どこでも良いと思っています。苦しむ原因は違くとも、「苦しんでいる」という事実に変わりはないので。

 

事前にJVCについてたくさん調べたとのことですが、事務所の印象は入る前と今とで変わりましたか?

変わりましたね。最初はもっととげとげしい感じかと思っていました(笑)でも実際に働いてみると、みんなが互いを尊重し合っているなと感じます。例えば僕のような新人が会議中などに手を挙げて質問しても、しっかり聞いて丁寧に答えてくれることとか。だから余計にこれから現地駐在するのがさみしいです。

 

駐在先ではどんな思いを大事にして働きたいですか?

ただただ平和になってほしいなと思いますね。紛争の傷跡が未だに残っているけれども、その「傷つく前の姿」に戻ってほしいです。特に子どもたちに関しては傷つく前の姿を知らない人たちも多くいるので、水や食料があるのが当たり前の世界を築き上げたいと思います。これは大人子ども関係なくですが、選択肢がない状況ってかなりしんどいと思います。自分がどう生きるかを自分で選択できる世界になってほしいなと思うし、それを築くことに自分が活動する意味があるのかなと思います。

 

座右の銘を教えてください。

これはさっき話した選択肢の内容にも繋がりますが、座右の銘は「Now or Never」です。今やらないでいつやるのかという意味です。その時にやりたいことと、それをやることができる環境が整うことってかなり稀だと思います。様々なところに行って様々な人に会えても、次にこの人に全力を尽くすことが出来るのはいつだろうと思うんです。だから、できることは機会を待たずすぐに行動すべきだ、と考えています。

 

最後に国際協力を目指す後輩にメッセージをお願いします!

「自分の好きなことを見つけて、それに嘘をつかず立ち向かえ。」
好きなことを見つける時は、自分に様々な質問をするのが良いと思います。自分のことに限らず何かに疑問を持つ癖がつくと、自然と自分に対しても疑問を持ち考えるようになると思います。もちろん自分のことを知ることが重要なので、嫌いなことを見つけることも大切だと思います。嫌いなことを否定すると、自分の好きなことも否定することになってしまうと思うので。だから嫌いな人がいてもいいし、その人と喧嘩をしてもいいと思います。ただ「人の不幸の上に自分の幸福を作らないで欲しい」。この点だけは絶対に守ってほしいです。
 
 
 

 

 

 

 

 

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いかがでしたか?

 

お楽しみいただけましたら幸いです。

 

近々、新しい2020年度のインターンインタビューも掲載予定です🙊

私たちインターンも残り一ヶ月で卒業となりますが、残りもみなさんにJVCJVCインターンのことを少しでも身近に感じてもらえるようがんばります!

 

それでは、またお会いしましょう!🤗💕

 

 

 

2018 第1回:ラオス現地調整員 山室良平

 

 皆さん、こんにちは。2020年度広報インターンの庄司です🦦

 

暖かくなってきましたね~!

私の住む地域は気温が20度近くになっおり、桜が満開です☺🌸🌸

 

さて今回は、JVCのホームページ内から

2018年度のスタッフインタビュー第1回をご紹介します!

 

 

 

 

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こんにちは!2018年度広報インターンの藤井です。

笑顔でインタビューに応じてくれた山室さん。右手のミサンガのようなものはラオスの儀式でつけてもらったものだそう。笑顔でインタビューに応じてくれた山室さん。右手のミサンガのようなものはラオスの儀式でつけてもらったものだそう。

2015年に始まった「スタッフインタビュー」ですが、あれから3年経った今、スタッフの顔ぶれも少しづつ変わってきました。そこで本年度は「スタッフインタビュー続編」ということで、新しいスタッフにインタビューしていきたいと思います。どうしてNGOで働くことを選んだのか、また身近でしか知ることのできない意外な一面を記事にまとめ随時更新していきますのでどうぞお楽しみに!

さて、記念すべき2018年度第1回目はラオス事業現地駐在員の山室良平さんです。フルタイム雇用の経験なしでNGOに入ったという異色の経歴の持ち主。一見国際協力一筋!と硬い印象を受けますが実はお茶目な一面もあるのです。2016年にJVCに入職し、現在ラオス駐在3年目に入ったところです。一時帰国した際にたくさんお話を伺いました!

 

国際協力に携わろうと思ったきっかけは何ですか?

世界的な経済システムの中で、マネーゲーム的なことに疑問を抱いたのがきっかけですかね。物価上昇とか、株価の変動などで知らないうちに右往左往させられるのって結局農民、特に弱い立場にいる人々なので、そういう人たちに寄り添えるようなことをしたいと思いました。また、子どものころに「お金」による問題や「差別」の問題が身近にあったので、「お金」という価値ばかりを追求するような働き方に疑問を持っていたこともあると思います。

 

大学ではどのようなことを学ばれましたか?

大学ではメディア社会学部に入りました。実は大学時代から国際協力について学ぼうと思っていたわけではないんです。初めはバラエティ番組のADを目指していて、またそこまで大学に入ることにはこだわっていなかったので大学が不合格だったらお笑い養成所に入ろうとも思っていました(笑)。小中学生の頃からお笑い、特にブラックジョークの類が好きで、世界の矛盾や不条理が風刺などで笑い飛ばせればいいなと考えていました。
結局大学に入ってからは週5でホッケーをしていた体育会系学生になりました。

 

では、その後国際協力業界を目指した転機は何ですか?

ラオスでのダム建設の様子ラオスでのダム建設の様子

ゼミでの経験だと思います。ゼミの先生が、それこそ子どものとき感じていた「弱い立場のために」という思いの下研究していて、自分も関わりたいと思いました。大学の卒論では「近代合理主義批判」といったテーマを研究したり、ハンナ・アーレントの『人間の条件』を読んだりと昔からの問題意識に関わるようなことを学んでいました。ゼミで「弱い立場にいる人々に寄り添う」ということを学べたことは今活動するうえでも大きな支えになっています。あと国際協力は体力が必要なので体育会系の部活での経験も今ではすごく役立っています。

 

大学時代インドへバックパッキングに行ったと伺いました。その時の経験についても教えてください。

インドへは2回行きました。1回目は3週間、2回目は2週間で両方とも1人旅です。遠藤周作の「深い河」を読んだ際、インドの時間の流れや信仰について興味を持ち、自分の目で見てみたいと思ったのがきっかけです。また、インド人はお金中心の働き方や生活と反対の暮らしをしているイメージもあったので、ぜひ行ってみたいと思いました。

ただ実際に行ってみたらそのイメージは覆されました。やはり観光地で働いている人たちはお金にうるさかったです。ただ、思ったことはズバッと言ってくれる人たちが多かったので決して悪い気はしませんでした。ちなみに、現地のタクシー運転手と土産物店の店主が取り囲んでお土産を押し売りしようとしてきたことがありました。地下室に連れ込まれ囲まれた時には身の危険を感じました。慌てて警察のもとへ逃げ込みましたね...。

 

もう一度インドに行きたいですか?

 

(たっぷり間をおいて)そうですね.........、はい...。(笑)

 

JVCに入った理由を教えてください

集会風景。データを重視した活動は伝わりづらいので、直接言葉を交わせる集会の場が大事になってきます。集会風景。データを重視した活動は伝わりづらいので、直接言葉を交わせる集会の場が大事になってきます。

大学院でナショナリズムや経済合理主義的政策下で弱い立場に置かれる移民、先住民などについて研究しているうちに、「自分も実際に現地に行って、日々の暮らしを支える農村開発に携わりたい」と思うようになりました。その後大学院を中退し、すぐに現地に入ることができる国際協力NGOを探しました。新卒でNGOに入ることに周りは反対したのですが、自分では抵抗はなかったですね。

色々なNGOを見ているうちに、単なる農業"支援"ではなく、社会問題にまでフォーカスした活動をしているJVCに惹かれ、入職を決めました。その頃は事業国にこだわりはなく農村開発の事業に関わりたかったので、もしそこで他の国の駐在員の枠があればそっちを応募していたかもしれません。そう考えればラオスの現地駐在員になったのは"縁があったから"ということですね。

 

現地ではラオス語で活動をされていますが、ラオス語習得は大変でしたか?

そんな大変ではなかったですね(笑)。駐在1年目に自分で勉強する時間が取れたので割としっかり勉強できました。日本で買ったラオス語の本で単語や文法をひたすら反復演習したりリスニング教材を繰り返し聞いたりしていました。なので習得のコツといったものは特にないです。とにかく繰り返し練習するだけです。現場では、直接現地の農民や行政官と話す機会が多く、そのためにはラオス語習得は必須なので、責任感もありそれほど辛さは感じませんでした。

 

ズバリ!ラオスの魅力は何ですか?

現地スタッフと一緒に議論をして決定します。現地スタッフと一緒に議論をして決定します。

自然と共生していて、素朴で笑いが絶えないところですね。農村で暮らしている人たちからは「村で生きる」「自然と農業で生きていく」という、地に足のついた暮らしを感じることが多いです。憧れますね。また、ラオスの人たちはちょっとしたことでも笑いながらみんなで話すということもあり、事務所は常に笑いで溢れています。 あとビールが安くて美味しいのも魅力の1つですね。仕事終わりの1杯はやっぱり格別です。

 

自分の人生で大切にしていることは何ですか?

ラオスの村の様子ラオスの村の様子

価値観や出自、階層などあらゆる面で多様な人々が、資源が限られているという状況の中で、ともに暮らしていくしかありません。そのうえで、虐げられる人がいないように、せめてみんながなるべく不安のない状態で生きていければいいな、と。そのために互いに寄り添い合いながら生きていきたいし、そういう仕事を今後もしていきたいなと思います。

 

最後に国際協力を目指す後輩に一言!

遊んでばかりいずに、とにかく勉強して本を読んで、色んな現場に行ってやれることをやる。自分が世界に貢献できることをする。せめて、世界に悪影響を及ぼすようなことはしない。それくらいしかできないのではないでしょうか。それだけでも大きな仕事です。

 

インタビューをしてみての感想

現地に飛び込み、現地の言葉で、現地民に寄り添って活動されている山室さんの様子が伝わってきたインタビューでした。また、幼少期から一貫して「お金中心の世界」に疑念を抱いているのだなと感じました。私自身、最後に頂いた熱い言葉を胸に残りの大学生活を送らねばなと思いました。(藤井)

 

山室さんは現地駐在をしているので今回会ったのも3回目という少ない期間のなかインタビューをしました。一見、硬そうな印象を持ちますが話してみるととってもお茶目な方で、インタビュー中も終始和やかな雰囲気でした。(ラオス事務所でもそのような様子だそう)20代で大学生である私とも比較的近い山室さんですが、社会問題や人生について熱い思いを持ち活動される姿に刺激を受けました。(石塚)

 

次回予告

次回は山室さんが「気さくな関西人」と語るあの方、ぜひお楽しみに! 最後までご覧いただきありがとうございました。

 

優しそうな目がヒントかもしれませんが、、耳なし芳一と話題に。

優しそうな目がヒントかもしれませんが、、耳なし芳一と話題に。

ペン一色、シンプルに書きあげてくださいました。

 ペン一色、シンプルに書きあげてくださいました。

 

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いかがでしたか?

 

JVCスタッフの意外な一面や、新しい気付きなど、お楽しみいただけたら幸いです✨

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

また次回、お会いしましょう!

それでは、また!!🤗

 

 

 

 

 

 

 

2016 第2回:人道支援/平和構築グループマネージャー 今井高樹

 

 こんにちは!2020年度広報インターンの庄司です。

今回は、2016年にJVCのHPで公開されたスタッフインタビューを紹介します。

 

当時、人道支援/平和構築グループマネージャーを担当していた、現JVC代表の今井さんへのインタビュー記事です😲

 

それでは早速、お楽しみください!

 

注:役職は2016年当時のものとなっており、現在とは異なる場合がございます。予めご了承ください。

 

 

 

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いつも丁寧に分かりやすくお話をしてくださる今井さんいつも丁寧に分かりやすくお話をしてくださる今井さん

みなさんこんにちは。2016年度広報インターンの神矢紀よ実です。スタッフインタビュー2016・2回目は、人道支援/平和構築マネージャーで、南スーダン緊急支援担当の今井高樹さんです。

今井さんは16年12月までスーダン事業現地代表として約10年!スーダンを拠点に活動されていましたが、この1月からは拠点を東京に移し、人道支援/平和構築グループのマネージャーとして、全体を統括されています。とはいえ今(17年3月)も今井さんは南スーダン・ジュバで緊急支援活動を行っており、現場の最前線にいらっしゃることには変わりありません。新聞やTV、ラジオなどにも多く出演されている今井さん、気になる方も多いのではないでしょうか!色々お話を伺いたいと思います。

 

 国際協力に興味を持ったきっかけを教えてください。

 きっかけは1967年にナイジェリアで起きたビアフラ戦争です。中学校の頃に本で知ったときには終戦していましたが、2年半続いた戦争で多くの餓死者を出し、この戦争がきっかけで有名なNGOの「国境なき医師団」が創設されました。この時、まだ国際協力という言葉も無かったように記憶しているのですが、この頃からアフリカとか、紛争とかに興味を持ち始めて、本などを読むようになりましたね。

 

 JVCのスタッフになる前は、企業勤務、その後はアメリカの小学校でインターンをされていたと聞きました。

 はい。2004年の年末に勤めていた一般企業を辞めて、アメリカに行きました。英語の勉強をしたかったのと、アメリカという国を見てみたかったんです。あとは、会社を辞める良い言い訳を考えなくてはいけないなと思っていたところに、ホームステイをしながらアメリカの公立小学校で日本文化や日本語を教えるインターンシップ制度があると知り応募しました(笑)これで、会社をやめるのを引き止められる人はいないだろうと思いましたね。

アメリカでは、自分の指導者になる先生の家でホームステイをさせてもらっていました。指導者がクラスの担任、私が副担任というポジションで日本語や折り紙などを使って日本文化を伝える授業をしていました。ところが、アメリカでは小学5年生になると科目ごとに先生が変わる単科授業になるんです。担任の先生の指導教科が算数だったのですが、担任に研修や会議があると、私が代わりに算数の授業をしなくてはいけませんでした。アメリカに行く前の英語力はカタコトのレベルで、日常会話は程遠いものでした。でも、指導教科が算数でよかったと思います。日本の算数の教育はレベルが高く、数字や文字記号も世界共通なので、ある程度単語を覚えていれば授業はできました。社会科だとアメリカの歴史背景を学ばないといけないし、理科のように内容理解が難しい教科などは教えられなかったと思います。

 

 海外で子どもたちに向けて授業するのは大変ではなかったですか。

 まぁ、子どもはみんな一緒ですよね。授業中はうるさいし、なぜか殴り合いの喧嘩をしているし、いかに静かにさせるかが大変でしたね。暴力はもちろんしないですけど、「外に立っていなさい!」と厳しく怒ったりもしましたよ。

 

 アメリカ生活の後の進路はどのように考えていたのですか。

 会社員時代から興味があったCSR分野で活動してみたいと思い、イギリスの調査・研究系のシンクタンクインターンとして採用してもらえないかと2ヶ月ほどロンドンで生活をしていました。しかし、いい就職先が見つからずにいたところ、もともとボランティアで関わっていたJVCスーダン事業の募集の声がかかりました。JVCの活動方針に共感する部分も多かったので、応募することにしました。

 

アメリカに行くまで、長い期間一般企業で働かれていますが、NGOとの働き方の違いについて教えてください。

もう10年もNGOで働いているから忘れちゃったなぁ~!企業では、経営管理部門で予算進捗のチェックなどをしていました。社員それぞれに役職があって、役割分担もはっきりしていましたが、NGOというかJVCではルールが曖昧なことが多いですよね(笑)例えば、企業で物品を購入する時には、購入手続きが決まっていて最終決定権が誰にあるかまではっきりしていましたが、JVCでは個人の責任が大きく、物事の進め方に大きな違いがあるように感じますね。

 

 自分自身、これから国際協力分野へキャリアチェンジしようと思っているのですが、アドバイスをもらえたら・・・

まずは「自分がやりたいと思う気持ち」が一番大事だと思います。この世界には国際開発学のような専門の知識や経験を持った人はたくさん入ると思いますが、そうじゃない人もたくさんいると思います。この例えを話したら怒られちゃいますけど、経営学を学んでいる人が一流の経営者になれるかどうかは違いますよね。実際に経営で成功している人の中には大学で経済の勉強なんかしていない人もたくさんいます。私は大学では哲学を学んでいたし、国際開発学などを体系的に何かを学んだわけではないです。やっぱり「やりたいという気持ち」が一番大事だと僕は思いますよ。

 

―やはり現地での経験が重要でしょうか。

 

そうとは言い切れないですね。私が現地で行っている活動は、ほとんど日本で仕事をしてきたスキルを使っているだけです。例えば、時間を守らなかったりトラブルの多いスタッフをどう教育していくかであったり、彼らのモチベーションを維持させるにはどうしたらいいかを考えています。あとは行政との関係作りが重要ですね。他部署との関係作りは神矢さんも経験されていると思います。NGOとして支援をしに行っているのであるから、地元の行政はいつでも歓迎してくれると思われがちですが、実際は活動を規制されることが多くあります。この地域で活動したいと要請をすると「どんな条件で予算規模はどのくらい、もっと予算を出せないのか」など交渉が難航することがあります。また、行政官の親戚を雇うように押し付けてくることもよくあります。あからさまに断ると活動ができなくなってしまうこともあるので、悩むことが多いですね。

 

―活動地でどんな支援をするかについては、どう判断されているんですか。

 

判断は、生活を実際に見ることが大切ですね。難民キャンプなどを歩いていて、食事の支度をしている人たちがいたりします。こういう時に、その食材はどこで手に入れたのか、いくらで買ったのか、お金はどこから得ているのか、など聞くことで様子が分かったりするんです。例えば苦しいながらも生計がある程度立てられている場所に対しては、「もっと状況の悪い場所もあるから、自分の持ってきた資金では支援できない」と正直に伝えることもあります。「検討します」なんて言葉は相手に期待をさせるだけですから、はっきり断ることは相手に迷惑をかけないという意味でも、非常に大事なことだと思います。

 

活動を続けられる原動力のようなものはありますか。

現地の人と一緒に活動できることが面白いから、活動を続けられています。支援をして感謝されることが嬉しいというよりも、活動したことで、現地の人の変化を見ると嬉しいです。例えば、スーダン事業では出生登録の活動をしていましたが、我々の規模では、残念ながら対象者全員の手続きができるわけではありません。しかし、私たちの活動を見ていた現地の方が、その影響で、ご自身で出生登録をしに行ったという話を聞いたときには、嬉しくなりますね。あとは井戸の修理支援も行なっていますが、支援をあえてしないこともあります。対象地域で以前に井戸の技術研修を受けた人がいるかどうかを調べてから、支援するかどうかを決めています。もともと修理できる方がいる場所では、わざわざ活動する必要がありません。「JVCは井戸も修理してくれないケチな団体だ」と言われることもよくありますが、私たちが修理してくれないと分かると、研修を受けたことのある方を中心に、自分たちで修理し始めることがあるんです。この駆け引きも面白いですね(笑)

 

2006年、当時住んでいたジュバの友人たちと一緒に2006年、当時住んでいたジュバの友人たちと一緒に
 
JVCが修理用工具と部品を支援して再び使えるようになった井戸を現地の皆さんと一緒に試運転JVCが修理用工具と部品を支援して再び使えるようになった井戸を現地の皆さんと一緒に試運転
 
 

 スーダン事務所ではどのようなところで生活されていたんですか。

ベッドの写真はありませんでしたが、現地で人気のライムジュースを飲んでいる時の写真を送ってくれましたベッドの写真はありませんでしたが、現地で人気のライムジュースを飲んでいる時の写真を送ってくれました 

普通ですよ。ハルツーム事務所のベッドで寝ています。現地のベッドは金属のフレームに、床板(マットレスなどを置くところ)にロープを何重にも張るのが伝統的なスタイルですね。

 

話は少し変わりますが、どんな学生生活を送っていましたか。

運動部には入らず、学生運動などをしていましたね。大学の学生寮に住んでいて、寮生と山登りなどに行きました。

 

―学生時代のあだ名はありますか。

 

あだ名はついたことがありませんね、ほとんど「今井」と呼ばれることが多かったです。

あだ名といえば、ハルツームで行きつけの床屋に行っていたときには、「ゼロ」と呼ばれていましたね。

なぜゼロと呼ばれているんでしょう?こちらのリンクをどうぞ。

 

マネージャーとして東京拠点で全体の活動を統括される立場になりましたが、機会があればまた現地駐在したいですか。

はい、行きたいです。さっきも言いましたが、現地の人たちは面白いですから。日本人よりも感情や話す内容がストレートですよね。日本人は間違いや、人と違うことを許さない文化になってきているのに対し、向こうの人たちはそんなことはなくのびのびとしています。人間関係でもさっぱりしていて、いくら喧嘩をして言い合いをしても人間関係が崩れることはあまりないですから。そんな向こうの人たちとまた一緒に活動したいですね。でもしばらくは、東京で人道支援/平和構築グループ全体の事業を確認したり、出張ベースで現地に携わることで、JVCのより良い活動につなげていきたいです。

 

 

 インタビューをしてみての感想

憧れの今井さんと2ショット!筆者は来年から、青年海外協力隊でスリランカに行くことが決まりました。その前に今井さんから経験談を聞けて本当に良かったです憧れの今井さんと2ショット!筆者は来年から、青年海外協力隊スリランカに行くことが決まりました。その前に今井さんから経験談を聞けて本当に良かったです

現地で活動する中で大変だな、と思うことも、今井さんにかかればすべて「面白いこと」。大変おおらかで、また情熱を秘めている印象を受けました。今井さんのお話を伺っていると、現地の人々の笑顔が見えてくるようでした。日本とは違う環境の中で、長年活動し続けられるのは今井さんの豊富な人生経験からなるものであると実感しました。今後のご活躍に期待しています!(神矢)

 

 

 

 

 

 

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いかがでしたか?

私は、今井さんの意外な一面や過去が見れて興味深かったです。

 

残りも僅かですが、引き続きJVCスタッフのインタビュー記事を更新していくので、楽しみにしていただければと思います。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました!✨

 

 

 

2016年 第1回:パレスチナ現地調整員 山村順子

 

みなさんこんにちは!2020年度広報インターンの庄司です🐢

 

今回からは、2016年にJVCのHPで公開されたスタッフインタビューを紹介します!2016年度の広報インターン、 田中春音さんと神矢紀よ実さんによるインタビュー記事です。

 

NGOで働く人たちには様々なバックグラウンドがあり、国際協力分野に興味がある人はもちろん、就活中の人などにも面白い内容だと思いますので、是非楽しみながら読んでいただけたら幸いです😊 

 

注:役職は2016年当時のものとなっており、現在とは異なる場合がございます。予めご了承ください。

 

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いつも明るくチャーミングな笑顔の山村さんいつも明るくチャーミングな笑顔の山村さん

みなさんこんにちは。2016年度広報インターンの田中春音と神矢紀よ実です。インターン卒業間近ですが、2015年度広報インターンに引き続き、スタッフインタビューをお届けしたいと思います。
(2015年度インタビュー全20回はこちらからお読みいただけます)

今回は、2016年度に新しくJVCに入った山村さん、現地駐在から東京事務所勤務になった今井さんにインタビューを実施し、記事にまとめました。記事を通してさらに「JVCで働く人たち」を知っていただければ幸いです。

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