世界の現場から~JVCの中の人ブログ~

国際協力NGO「日本国際ボランティアセンター(JVC)」のスタッフ・インターンが綴る、あんなことやこんなこと。

第14回:コリア事業担当 寺西澄子

 

こんにちは!広報インターンの庄司です。

 

今回は、2015年度に行われたスタッフインタビューを、JVCのHPから転載してご紹介します✨

 

 NGOで働く人たちには様々なバックグラウンドがあり、国際協力分野に興味がある人はもちろん、就活中の人などにも面白い内容だと思いますので、ぜひ楽しみながら読んでいただけたら幸いです😊

 

 

注:役職は2015年当時のものとなっており、現在とは異なる場合がございます。予めご了承ください。

 

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こんにちは。広報インターンの清水です。

本日のインタビューは、パレスチナ事業担当の並木さん"JVCの管理人"だとおっしゃる寺西さんです。寺西さんはコリア事業担当だけでなく、私たちインターンの受け入れ担当もしてくださっていて、日々とってもお世話になっています...!まさに縁の下の力持ちといえる方ですね。人見知りな性格からか、なかなか自分自身のお話をされないそうで、スタッフですら詳しいことは知らないそう(笑)この機会にじっくりお話を聞いてみたいと思います!

 

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当初、NGOは特別な人たちが働く場所だと思い、まさか自分の就職先になるなんて考えもしなかったそう

真面目でしっかり者の印象が強い寺西さん。どんな子どもだったんですか?

小学生時代はとにかく体育の授業が嫌いな子でした(笑)とってもインドアで本ばかり与えられる家庭で育ったので運動とは無縁でしたし、早生まれなこともあってからか体型も小柄で、周りの子と同じようにできず、悔しい思いをしたこともありました。

 

夏休みの家族旅行は、父親が「お盆の時期は東京が空くから」とか言って、神奈川に住んでいるにも関わらず東京にホテルをとって、神田の古書店秋葉原の電気街を回っていました(笑)ただでさえ、一人っ子かつ早生まれで同世代の友達とスポーツや遊びでコミュニケーションが取れないのに、話が合わないことにも苦労しました。こういう経験があるからなのか、NGOで働いている今、色々な世代の人と話せるのがとても楽しいです。

 

 

体育嫌いは高校生になっても続き、毎年学内で行われている持久走大会に出なくても良いという理由から、高校では新聞部に所属しました。新聞部では主に記事の執筆を担当していて、部活のことや卒業生のJリーガーにインタビューをして記事を書いたりしていました。この学内新聞は、神奈川新聞社で構成や印刷をしてもらっていたので、授業を休んで堂々とみなとみらいまで行けることがうれしかったです。

 

昼食は、ピザの食べ放題に行くのが伝統だとかいってみんなで出かけたり。完成したばかりのランドマークタワーのことなんかも、記事になりました。広告をとるために近所の商店街を回ったり、なかなか本格的な活動でしたね。

いつごろから海外を意識し始めたんですか?

 

思い返してみれば、高校一年生の時の地理の授業で、世界のさまざまな民族について学んだのがきっかけだったかもしれません。一学期は一度も教科書を開かずに、先生の興味で授業が進みました。近隣国の中国から始まったのですが、中国ってこんな多民族国家だったのか、民族って面白いな~と思いました。だから今も、東アジアに興味があるのかもしれませんね!

 

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まさに人柄が出るノートです!高校一年生とは思えない字の美しさと地図の明確さ...。

 

 

大学は地域文化学科に入学し、一年生の頃には「海外に行ってみたいな。ちょっと変わった体験がしたいな」と思うようになりました。ちょうど見つけたNGOスタディツアーで、フィリピンへ行きました。このツアーは青少年との交流が中心だったのですが、フィリピンの同世代の人たちはもう働いていて仕事の合間にお話しさせていただくような感じでした。ですので、海外の文化に触れるというよりは、普段、自分は親に美味しいご飯を食べさせてもらってどれだけ甘やかされているのか...と自分の生活を見直すきっかけになりました。

 

その後もスタディツアーで一緒だった人たちと集まったり、ツアーでお世話になったNGOのボランティアとして、イベントでフィリピンのバナナジュースを販売したりしましたね。

 

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JVCの"「援助してあげる」のではなく「互いに学び合う」仲間として現場に関わる姿勢"に共感したのも、「自分ができることなどごくわずかだ」という当時の実感があったからだそう。写真:左から二人目

大学時代には交換留学で韓国へ行ってらっしゃいますよね。なぜですか?

世界のことに興味はあっても英語がとても苦手だったので、日本の外に出ることはないだろうなと思っていました。でも、何かひとつは外国語を習得したいと思っていました。大学の第二外国語を選ぶときに中国語と韓国語で悩んだのですが、履修人数が少ない方が自分のものになるだろうと思って韓国語にしました。当時は今ほどポピュラーな言語ではなかったこともあり、三年生の時に、交換留学の枠が空いているからと先生に誘われ、留学を決めました。その時は正直なところ、韓国で学びたいというよりは卒業が延びるのはありがたい、というのが本音でしたね。

 

 

こうしてソウルにある大学へ留学をしたのですが、春と秋にフィールドワークとして韓国国内を旅行でき、遺跡を巡ったりできると聞いて史学科を選びました。しかし学校には日本人がおらず、日本語を話せるのは日本語学科の学生くらいでした。今思えば語学を学ぶには最適な環境でしたが、語学の授業もなく、大学入試をくぐりぬけてきた人たちと机を並べての歴史の授業やテストは本当に悲惨で、泣きそうになったこともあります。

 

少し慣れてきた後期は、「北朝鮮社会の理解」という授業をみつけ、韓国人が北朝鮮をどう見ているのか知りたいと思い履修しました。韓国の年配の人たちの間では、南と北は統一すべきと考える人が多いのですが、同世代の人たちは「同じ民族だけど別の国だよね~」といった感覚の人もいて、世代間のギャップを感じましたね。

 

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史学科の授業で、史跡めぐりをした時の写真。朝鮮半島と日本の古くからの繋がりをあらためて強く感じた時間だったそう。写真:後列中央

韓国ではどんな生活をしていたんですか?

寮で生活をしていたのですが、女子大だったこともあり門限がとても厳しかったんです。夜11時になると、寮長が一人一人点呼をして外のシャッターが閉まるので、遅くまで外出することはなかったですね。寮の交流スペースみたいなところにテレビがあったので、いつも皆で集まってドラマやサッカーをみたりしていました。

 

 

あとは先ほど話したフィリピンのスタディツアーを組んでいたNGO北朝鮮の支援もしていて、代表の方から「今度韓国に行くから、会いましょう。」と声をかけていただき、北朝鮮の支援をしている韓国の団体を訪問する機会に恵まれました。韓国で国際協力NGOが活躍する場はないと思っていたけれど、色々なつながりがあるということ徐々に知るようになりました。ここで、当時のJVCの代表である熊岡さんにもお会いしました。

 

色々な方に話を聞く中で、1995年ごろの北朝鮮では、大雨洪水の自然災害に見舞われて飢餓が起こり、日本でも多くの寄付や支援が集まったということを知りました。当時は北朝鮮のことがあまり知られていなかったこともあったのでしょうが、純粋に困っている隣国の人を助けようというまさに人道支援でした。阪神淡路大震災が発生した時に北朝鮮から支援があったことを知っていた兵庫出身の方が、恩返しをしようと全国からたくさんのお米を集めたと聞きました。こうしたことはあまり知られていないし、98年に日本へ「テポドン」が飛んできたことで一気に雰囲気が悪くなった状況しか知らないので、私も驚きましたね。

 

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JVC代表だった熊岡さんと韓国でお会いした時の写真だそう。大学生の寺西さん、かわいらしいですね!(写真左下)

帰国後はどのようにすごしていたんですか?

休学をして留学していたので、復学後は就職活動を始めました。しかし同い年の友達は皆卒業していて、就職活動の流れがよく分からないまま自己流にやっていたので完全に波に乗り遅れました。知り合いに声をかけてもらったご縁で、東洋史関係の書籍がたくさんある専門図書館でアルバイトを始めました。何千冊もある朝鮮語の蔵書を一冊ずつベタ打ちしてデータベース化するという、気力のいるアルバイトでしたが、モンゴルやユーラシア大陸に詳しい人たちが集まっていたのでとても楽しかったです。こうして大学では卒論を執筆しつつ、NGOへ少し出向いたりして過ごしていました。

 

JVCへ初めて来たのは卒業前後の頃でした。北朝鮮人道支援の国際会議をやるとのことで、資料の印刷など事務作業をするボランティアとして呼んでいただきました。それがご縁で、前述の熊岡さんに「週2、3日きませんか?」と声をかけていただきました。はじめはインターンみたいな感じで、図書館のバイトを続けながら来ていたのですが、だんだんと任せてもらえる仕事が多くなり、気が付けば今に至ります。

 

ズバリ、韓国語の楽しさは?

他の語学と同じで通じる楽しさじゃないかな。「この人と話したい」と思うことで語学は上達すると思うんだけど、私の場合どうしても英語への苦手意識が抜けなくて、ぼんやりとしたアジアへの好奇心から始めただけでした。結果的に、私は韓国語を通して、素敵な人たちと出会えたから続いたと思います。複雑な歴史的背景があるけれど、個人的に嫌な思いやマイナスイメージを持つようなことがあまりなかった。良い出会いにめぐりあうことって重要だと思いますね。

 

普段のちょっとしたメモ書きもハングルで書いていますよね。

あはは!どこで見たの?画数の多い漢字を書くのが面倒なときにハングルで書くときはあるかも(笑)あとは単純にハングルが好き。ちょっと古いK-popは今でも聞きます。だけど韓流ドラマとかは、見始めたら止まらなくなって夜眠れなくなりそうなので、宮西さんのように見ないようにしています(笑)

 

最後に、実際に現地に行って感じることや、今後のコリア事業の展望を教えてください。

最近は平壌にしか行っておらず、全体像は分かりませんが、若い世代が元気だと感じます。平壌には、自分の国はこれから発展していくと信じて、国のために頑張りたいと純粋に語る学生にもたくさん会いました。若い時は自分が成功したいという気持ちもあると思いますが、こうした新しい世代の活気が生かされるといいなと思います。

 

JVCで行っている活動の一つ、「南北コリアと日本のともだち展」は実際に会うのが難しい相手に絵を通じて出会うという取り組みで15年目になりますが、日本と朝鮮の人々の溝は深まるというより、お互いへの無関心すら感じるようになり、なかなか終わりのない事業だと感じています。でもいますぐに状況は変えられないけれど、今から変える努力をしていかないと未来につながらないと思ってやっています。過去は変えられないから、なおさらそう思う。あと、今は気軽に日本と朝鮮を行ったり来たりすることはできませんが、距離でいったら東京から沖縄に行くより近いはず。地理的な近さを生かせない関係は、本当にもったいない。往来できるようになるだけで、ほんとにいろんなことが変わると思うんですけどね。

 

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2003年夏、朝鮮民主主義人民共和国の平城市にあるトクソン小学校を訪れたときの一枚。
 
 

現地に行って感じること...なんだろう。情報も限られているから、なんでも珍しく感じるかもしれないけれど、彼らには彼らの日常があると思うと特別な感じはあまりしない(笑)でも南北の分断を思うと、同じ時代のこんなに近い場所に、会うことすら叶わない人たちがいて、もともと一つの国だったのに、文化や習慣も大きく変わってしまったことに日本人として切なくなる一方で、気質が似ていてほっとするところもある。日本では、北朝鮮は画一的で冷たいイメージがあるかもしれないけれど、みんなお酒が大好きでけっこうラテン系。すぐに歌ったり踊ったりが始まるんです。人情深い、義理堅い面があって、約束は必ず守るとか、一度築いた信頼関係をとても大切にします。そんなことも、実際に行ってみて初めてわかったことでした。

 

【インタビューしてみての感想】

インタビューを通して、寺西さんの几帳面で真面目なところ、一方で朝鮮をはじめとするアジアへの熱く、真摯な思いを感じとることができました。私も早生まれなので、小さい時に"周りの子と同じように話したり動いたりできない"という悔しさにとても共感してしまいました。(笑)

 

【次回予告!】

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か、かわいい...!ご本人もこの絵に負けずおとらず本当にカワイイ!あの方です

 

次回は、寺西さんが一言で表すと「山椒は小粒でも...。(とても小柄な方ですが、いつもピリリとJVCに刺激を与えてくれます。)」だとおっしゃるあの方にインタビューします。乞うご期待!

 

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いかがでしたでしたか?

引き続き、過去のスタッフインタビュー記事を始め、今年度のインタビューも掲載していくので楽しみにしていてください。

 

それでは、また!😊✨

 

 

 

 

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